いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

蔵たたぬまま五十年こがね虫(あ)

【今日の一枚】コガネムシ(黄金虫)。

f:id:jijiro:20200712154000j:image

 庭のブルーベリーの葉にしがみついていた。

 「コガネムシ」で思い出すのは、野口雨情の♪黄金虫は金持ちだ〜♪ではなく、五木寛之の『こがね虫たちの夜』の「こがね虫は、虫だ、金倉たてた、虫だ、なぜ虫だ、やっぱり、虫だ‥‥」の一節。

 部屋に冷蔵庫がないのに、スーパーで1Lの牛乳パックを買ってきて、保存が効かないからといって一気飲みしていた貧乏学生時代、いっとき五木寛之の作品に親しんだ時期があった。

 コガネムシを見つけて、まずそのことが思い浮かんだ。

 当時は3万5千円の仕送りで部屋代(1万2千円)から何から全てやりくりしていた。今思えば、よくそんなんで1ヶ月を過ごせたと思う。

 青森から上京して住んだのは世田谷の新町というところ。兄の大学時代の朋友が近くに住んでいて、大学受験の時からそのお宅に厄介になっていた。下宿先を探してくれたのもそこのおばさんで、時折部屋の掃除をしに来てくれたりもした。

 映画「無法松の一生」の舞台になった小学校のすぐ裏手にその家はあって、三人姉妹に挟まれて一人息子がおり、その男の人が兄と同い年の大学時代の朋友だった。年格好でいうと、上から女、女、男、女の順で、四人とも私より年上だった。

 家が手狭ということもあって、次女だけが近くにアパートを借りて一人暮らしをしていた。その人は、実家でお風呂をもらって夕食を家族と一緒に摂った後で私の下宿の前を通るのだが、通るときにいつも「〇〇君、お風呂よ」と私の部屋に声をかけてくれた。あるとき、それで近所の人から変な目で見られているのではないか、それが恥ずかしいと言われ、以来、私は風呂を日体大近くの銭湯に変えた。

 考えてみれば、全くその通りだった。独身の女性が夜な夜なむさい男子学生の部屋に声をかける光景を、近所の人はどう見ていたか。そんなことにまるで無頓着だった私の無神経さに自分でも腹が立つ。

 ある蒸し暑い夜、寝られなくて近くの駒沢公園にジョギングに出かけたことがある(もちろん当時はクーラーなんてものはなかった)。広い公園内をジョギングしていると、警邏(けいら)中の警官に呼び止められた。なぜこんな時間にこんなところを走っているのか、と。寝苦しいから走っているのだと答えると、今しがたここで殺人事件があって、その聞き取りをしている、何か不審者を見たとか、どんな情報でもいいから提供してほしいという。

 ためつすがめつ、舐め回すように私を見つめる。その目線は、こいつ俺を疑っているなといったふうにも見えた。

 今ならいかにもジョギングをしていますといった格好をするのだろうが、当時はそんな洒落たものはない。ヨレヨレのTシャツにくたくたのサッカーパンツといったいでたちだから、見るからにいかにも怪しいと思われたのかもしれない。

 その時は上京したてということもあり、都会の底知れぬ不気味さに触れた気がして、ぞぞっと身がすくむ思いがした。

 

【ディジタル画】三つ編みの女(No.50)

f:id:jijiro:20200712154524j:image

 「インカ」ブラシで描いた背景の線をすっかり消すべきだった。中途半端に残したから、それが多少目障りになっている。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】7月11日(土)7:33〜10:08の韮山方面の雨空。38秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1282202840039976960?s=21