いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

春潮や陣屋太鼓の鳴り渡る(あ)

【写真】三浦マラソンのスタートを待つ白バイ。

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今年は砂浜に張るテントが、去年と比べてだいぶ増えた。

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マラソンの応援に駆けつけたファミリーは、選手が走っている間、こうして波と戯れたりして選手の帰りを待つ。

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またはテントで販売される地元の野菜や海産物、スポーツグッズを見て回る。私は無料サービスの煮大根とキャベツのスープをいただく。どちらも旨旨。
隣のテントではたくあんを1本400円で販売していた。旨そうだが、帰りの電車で臭いそうだったので買わなかった。

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砂浜に設けられた表彰台。ステージに4人のスタッフがいたので、その人たちがいなくなってから撮ろうとしたら、なぜか3位の台がなくなっていた。???

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「相州三浦海防陣屋太鼓」のみなさん。毎年このあたりで選手の帰りを待つが、全部で6人走ったランナーのうち、2人の力走しか写真に撮れなかった。そのうちの1人も、手前を横切った選手の影にすっぽり入り、顔の一部分しか撮れなかった。連写機能を使えばよかった。
6人のうちの最後の1人は、去年の4月から二ヶ月かけて四国八十八箇所巡礼結願された人。その人の走る姿を写真に収めようと、この場所でずっと待っていた。陣屋太鼓が幾度となく鳴り響き、ランナーたちの走りを応援するが、その人はなかなか姿を見せない。制限時間が刻々と迫る中、なお走り抜ける瞬間を捉えようと待ち構える。足がつった選手に沿道から声がかかる。「頑張れ、ゴールはもうすぐだよ」。
ゴールに向かって走る選手も徐々にまばらになるが、それでも陣屋太鼓は最初に駆け抜けたトップランナーの時と同じバチで、懸命にゴールを目指す選手を鼓舞する。
ああ、あの時も陣屋太鼓は最後のランナーが通り抜けるまでこうして応援をしてくれていただろうか。あの時と言うのは、私が最初に三浦マラソンのハーフを走った30年前のことである。
それまでマラソンなど走ったことのない私が、練習も何もせずにいきなりハーフを走ったのだから無謀もいいところだ。当時の職場の同僚に声をかけられて走ることにしたはいいが、さすがに三浦段丘のアップダウンは甘くはなかった。走れども走れども城ヶ島大橋先の折り返し点に辿り着かない。何度走るのをやめて歩いたことか。
城ヶ島大橋の上は行きも帰りも歩いた。容赦なく吹き付ける寒風に体も冷え切って足が上がらない。走るどころではない、歩くのがやっと。あまりに自分が情けなくて泣きたくなった。
三浦海岸に戻って来たときは、制限時間は優に超えていた(はず)。だから順位も判らない。あのとき、ゴールの横断幕の下をくぐり抜けたあのとき、今日と同じように陣屋太鼓は鳴っていただろうか。
記憶にない。片付けられた後だったかもしれない。ただ、応援の人もまばらになった砂浜でカミさんが待っていてくれたことだけは覚えている。
結局、私が待っていた四国巡礼の人は、すでに砂浜のテントで祝杯を挙げていた。はるか前にゴールしていたのを私が見逃していた。私はその人が通過したのも知らずに、最後方のランナーたちに30年前の自分の姿を重ねながら待ち続けていたのだった。

【歩数】11,456歩。