いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

歳晩や年に一度の版画彫る

この年も押し詰まった昨日、ショッキングなニュースが飛び込んできた。千葉県君津市の17歳の高校生が祖父母を殺して逮捕されたというニュースである。このブログでは社会事件についてほとんど語らずにこれまで来たが、今回ばかりは語らずにはいられない。とても他人事とは思えないのである。
警察の調べに対して犯人は、「祖父母に恨みはなく、誰でもよかった」と供述しているという。動機は?「学校での友人関係がうまくいかず、ストレスを解消するためだった」と。なぜそうなるんだ。おかしい、絶対におかしい。バーチャルなゲームの世界の話ではないんだ。実際にしでかした人殺しなんだ。
恐ろしい世の中になったものである。殺すのが誰でもよかっただって? 冗談でも言っちゃいけない。誰でもよかったのなら、世界を震撼させたパリの無差別殺人テロと何ら変わらないではないか。殺人テロは身内に潜んでいたのだ。小さな時から可愛がられて育ったであろう孫に、あろうことか、自分のストレス解消のために殺されてしまうなんて、そんなことがこの世にあっていいはずがない。ナイフで刺され、カナヅチで殴られ、ツルハシを振り下ろされ、その惨劇の地獄絵を想像するだにおぞましい。
私は今、つい先日伊豆で手を焼いた孫の行動とこの事件とを重ね合わせている。犯人は17歳の高校生。17歳というと小学3年生のお兄ちゃんの8年後である。私はそれまで生きていれば70歳である。17歳になったお兄ちゃんはどんな青年に成長しているだろう。学校の友人とは良好な関係を築いていけるだろうか。ストレス解消のうまい方法を見つけられるだろうか。そんなことを今から心配してもしょうがないと分かっていても、どうしても心配しないわけにはいかないのである。
今後、孫とどう関わっていけばいいんだろう。今回の事件で私がまず考えたのはそのことである。いくら情けを注いだところで、その情けが無に帰すこともあるのだと今回の事件は語っている。犯人は誰でもよかったと言ってはいるが、本当は「自分よりも弱そうな人なら」誰でもよかったのである。殺意のベクトルは自分より強い人には向かわない。きっと親はこの高校生にとって強い人だったに違いないと見ている。
さて、これからの孫との関わり方だが、それは、情を注ぎつつ弱みを見せないということになろうか。孫の面倒を見るのにそんなことまで考えなくてはいけないとは、いやはや何とも年を取りづらい世の中になったものである。
写真は、年賀用版画の下絵。これから彫ります。(あ)

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5,577歩。