いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

駅降りる人や片蔭奪ひ合ふ(あ)

伊豆から茅ヶ崎の歯医者に行く。

予約は午後3時に入れてあった。午後3時に間に合うためには伊豆の家を12時過ぎに出なければいけない。治療を終えて伊豆まで帰るのに、また同じ時間がかかる。往復6時間。交通費も往復で3,000円。

たかが歯医者へ行くために、なんでわざわざそんな時間と交通費をかけて茅ヶ崎まで行くのか。伊豆だって、近場を探せば歯医者なんていくらでもありそうなものだ。

どうしてもそこの歯医者じゃなくてはいけないのか、と言われれば、そうでもない。通い始めてかれこれ30年以上経つけれど、他に相性のいい歯医者が近場にあればそこに替えても一向に構わないと思っている。では、なぜ? なぜそんな遠くまで通う?

茅ヶ崎という街が好きなのだ、と思う。

初任の勤務先は横浜で、次が茅ヶ崎だった。茅ヶ崎の高校には5年勤めたけれど、まだ30代前半だったということもあり、ずいぶんあちこち呑み歩き、はちゃめちゃなこともした。15年間事務局を務めた釣り大会の船宿も茅ヶ崎だった。一旦茅ヶ崎を離れ、県西のはずれから平塚を経て再び戻ってきたのも茅ヶ崎だった。私にとって茅ヶ崎は、さまざまに謳歌した思い出が濃く残っている街なのである。

そんな街を、この歳になってもたまにふらっと歩いてみたくなる。そんな気持ちがどこかにあるし、伊豆から茅ヶ崎までなら通って通いきれない距離でもない。だから歯医者を替えないているのだと思う。往復6時間というのは、まとまった読書をするにはもってこいの時間だし、3,000円という運賃も、それで昔にタイムスリップできるならそれほど高いとも感じない。通う間隔も春夏秋冬に一遍ならこれも程よい間隔だ。

そんなこんなで、もうしばらくは茅ヶ崎通いが続きそうです。

 

【今日の一枚】茅ヶ崎駅から海へ続く雄三通り。

f:id:jijiro:20190820093234j:image

以前は「上原謙通り」と言った。上原謙は加山雄三のお父さん。代が変わって今は雄三通りと呼んでいるが、ご本人が住んでいるわけではない。この通りをまっすぐ海へ向かって歩いた先に旧邸跡がある。

茅ヶ崎の歯医者は、この通りが海岸道路と並行して走る「鉄砲通り」にぶつかった交差点を、江ノ島方面に曲がった先にある。駅から歩いて15分ほど。

 

【書】「正」セイ・ショウ・ただしい・ただす・まさ・まさに(No.218)

▼甲骨文

f:id:jijiro:20190820093422j:image

▼金文

f:id:jijiro:20190820093431j:image

一と止とを組み合わせた形。一はもと囗(い)に作り、城郭で囲まれている邑(まち)。止(足あとの形)の古い字形は之(し=ゆく)と同じで、行くの意味がある。正は城邑(じょうゆう)に向かって人が進む形で、攻める、攻めて征服するの意味となる。正は征のもとの字である。征服して征服地の人から税をとることを征といい、その支配の方法を政という。征服した人びとに重圧を加えて税の負担を強制することを政といい、そしてそのような行為を正当(道理にかなっていること。正しいこと)とし、正義(正しいすじみち。正しい道理)としたのである。それで「ただしい、ただす」の意味となり、純正(まじりけのないこと)のようにも用いる。<『常用字解』より>

甲骨文の足形は右足のバージョンと左足のバージョンがある。これは左足。

金文は、スキージャンプの選手がジャンプ台を踏み出す瞬間のポーズのように見える。ちょっと頭が重たそうだけど。

 

【絵日記】小澤征爾(No.96)

f:id:jijiro:20190820095236j:image

絵のタッチも、だいぶ漫画風になってきたかな。これくらいだったら、描くのに30分もかからない。

そろそろ、日常の気づきを四コマ漫画に仕立てる練習も積んでいかないといけません。四コマ漫画といえば起承転結に割り振る構成が第一に思いつくけど、だけど、あまり起承転結にこだわらないで、詩、短歌、俳句のような仕掛けもありかなと思っている。

例えば尾崎放哉の「入れ物がない両手で受ける」みたいな世界を漫画で表現できないかと思ったりもする。一つの可能性として。

 

【タイムラプス】8月19日(月)7:30〜9:13の伊豆長岡の空。25秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2464943523563510?s=100001436582002&sfns=mo