いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

白髪の友と銀座の星祭(あ)

今日は大学の体育連合会幹事だった仲間との星祭。年に一回、七月の第二土曜に集まって近況報告をし、これまでに何度も繰り返した大学時代の思い出話に花を咲かせる。毎年同じことを言っててよく飽きないよなと思いながら、でも一年経てば言ったことの半分も覚えていない連中なので、思い出をちょこっと補充するだけでウンウンソーダソーダと話が弾む。

せっかくだからと早めに家を出て、皆が集まる4時半まで東京をぶらぶら歩いてみることにした。去年は皇居を歩いたから、今年は別のところを歩いてみようと思って、自由が丘→上野毛→二子玉川→桜新町→駒沢というルートを選んだ。

私が青森から出てきて最初に住んだ下宿屋が今はどうなっているか。同じく、2年後にその下宿屋を出て同郷のクラスメイトとシェアした一軒家が今はどうなっているか。また、今年1月に急逝した弘前の住職(これも高校の同級生)が住んでいた自由が丘のアパートが今はどうなっているか。それらをこの目で確かめておこうと思った。

あれから48年〜44年も経っているのだもの、界隈もすっかり様変わりしているさ、大学を見なさいよバカ高いのっぽビルになっちまって、昔の面影は露ほどもないじゃないのとは思ったが、その名残の欠片でも見つかれば御の字だと思って横浜で東横線に乗り換える。

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それで、まずは自由が丘。故住職の下宿していたアパートは踏切を渡ったすぐだと記憶していて、その記憶を頼りに踏切を渡ったが、あったはずのアパートは特定できなかった。共同トイレの木造アパートなんて今時あるわけがないと思っていたが、やっぱり見つけられなかった。彼と行ったカウンターだけの狭い焼き鳥屋も、サッカー部の連中とグランドに通う途中に寄った雀荘も、なかった。ただ、駅前の「自由が丘デパート」と、駅からちょっと離れたスーパー・ピーコックだけはまだ残っていた。

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次に上野毛。たぶんここだろうと思われる場所に、古びた一軒家は奇跡的にまだあった。が、玄関の場所が昔と違う。昔は一軒家を真ん中で間仕切りして2世帯が住めるよう玄関も2箇所にあった。六畳和室が二間で、トイレ、台所は付いていたが風呂はなかった。銭湯は歩いて5、6分のところにあったが、さすがに今はもうないだろうと思って探しに行かなかった。

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今はどうなっているか、いちばん見たかったのはここ。普通の二階建家屋になっていた。ここが上京して最初に下宿したアパートがあった場所。映画「無法松の一生」の撮影現場になったという小学校の近くで、当時は新築のアパートだった。

大学受験で宿泊食事風呂を提供してくれたのが実兄の大学の友達のお宅で、そのお宅が小学校の裏手にあり、アパートはそこから数分歩いた角地にあった。兄の友達のお母さんは大学入学後も私の世話をしてくれて、近所の新築アパートに住まわせ、夕食と風呂を提供してくれた。そのお宅の一男三女の末娘さん(私より一つか二つ年上だったと思う)と一緒に渋谷で映画を観たりもした。

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そんなこんなを思い出しながら駒沢大学駅まで歩き、そこから地下鉄で日比谷の会合場所に向かう。家に帰って歩数計を見たら2万2000歩。いやあ、久々にたっぷりな運動でした。

 

【今日の一枚】今年の星祭は「鳥ぎん」で。

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実は去年と同じ場所。地下鉄日比谷駅の穴から歩いて30秒。

店に入る前に看板を写真に収めておこうと思ったら、ショッピングバッグを持った女の人がiPhoneの画面に入ってきて、ショーウィンドウを鏡に髪を整えはじめた。足元にちょうど消火栓があり、なんだかそこだけ昭和30年代の銀座の路地裏風景のような気がして、期せずして面白い一枚になった。

 

【書】「若」ジャク・ニャク・わかい・もしくは・したがう・なんじ(No.184)

▼甲骨文

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▼金文

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巫女(ふじょ=神に仕えて神のお告げを伝える女。みこ)が長髪をなびかせ、両手をあげて舞いながら神に祈り、神託(神のお告げ)を求めている形。のちに神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の〓1(さい=口)を加え、祝詞を唱えて祈ることを示す。ふりかざした両手の形が、今の字形では草かんむりの形になっている。神託を求めて祈る巫女に神が乗り移って神意が伝えられ、うっとりとした状態にあることを示すのが若である。伝えられた神意をそのまま伝達することを「若(かく)のごとし」といい、神意に従うことから、「したがう」の意味になる。神託を求める巫女が若い巫女であったので、「わかい」の意味にも用いられるようになったのであろう。(後略)<『常用字解』より>

〓1(手書きの画像)↓

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甲骨文は、髪を振り乱して神に祈る巫女をイメージした。荒々しい感じが少しは表現できただろうか。

金文は、こっちは動きを穏やかにし、腰つきにやや艶めかしい感じを持たせた。

 

【タイムラプス】7月13日(土)4:59〜7:22の伊豆長岡の空。35秒。

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