いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

今年また湯屋の女将の鮎自慢(あ)

昨日に引き続き、今日も大きな栗畑氏と囲碁三昧。

4子局で始まった今日の囲碁は、4子局●○●●●5子局○●○●●○●の4勝8敗の戦績。

昨日、やっとこさ4子局に戻した対局も、あっという間に5子局に戻され、あわや6子局へまたまた転落かという危機もあったが、なんとか5子局をキープした。

4子局を一つ取ったとき、栗畑氏は「4子でちょうどいいら」と言ってくれたが、私としては5子あたりが釣り合いが取れる棋力の差ではないかと思っている。

それにしても、こんな弱い私に声をかけてくれ、しかもわざわざ拙宅へ碁の相手をしに来てくれるなんて、ちょっと前までは思いも及ばなかったことだ。おかげでとても充実した、理想のシニアライフを過ごしている。

私が理想というのは、なにものにも縛られず、自分のやりたいことがやれていることをいう。一緒に伊豆に移り住むと思っていたカミさんが未だ神奈川を離れないでいるというのはちと誤算だったが、逆に、こんなふうにほどよい距離を置いて互いに好きなことをして暮らす夫婦のあり方もいいのではないかと今では思っている。

そこで今日のアフォリズム。

<夫婦とは、互いが何を考えているかさっぱり判らないと口では言いながら、互いが何を考えているかすっかり見透かしている人間関係のことをいう。>

 

【今日の一枚】一二三荘の「鮎めし」(400円)

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一二三荘に行ったら「鮎めし」が1個だけ残っていたので今日の晩飯に買う。

天然の鮎と養殖の鮎との味の違いってよく判らないけど、釣った天然物(一二三荘の鮎は正真正銘の天然物)だと聞くとなかなか口にすることができないという先入観があって、つい買ってしまいます。

それに、「鮎ごはん(去年まではそう呼んでいた)って、骨を取るのが大変なのよ」と前に言っていた女将さんの、まごころのこもった手作りへの労いもあります。

冷めても十分旨いけど、炊きたてだともっと旨いんだろうなあ。ああ、いつか食ってみたい。

 

【書】「作」サク・サ・つくる・なす(No.164)

▼甲骨文

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▼金文

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音符は乍(さく)。乍は木の枝を曲げて家の垣などを作ることをいう。甲骨文字や金文では城壁や青銅器を作ることを乍といい、乍が作のもとの字である。のち作為(つくること)の字として作の字がつくられた。作はあらゆるものを「つくる」の意味から、人の行為全般に拡大されて、「いとなむ、おこす、なす」などの意味に用い、作興(さくこう=起ち上がること)のようにいう。<『常用字解』より>

金文を書くのに、にじみ度合いを久々に「Wet」で書いてみた。金文は主に青銅器に鋳込まれた字だから、どちらかというと柔らかいイメージがあって「Wet」で書いてみたくなる。かたや甲骨文は、鋭利な刀子(とうす)で刻んだ文字だから、鋭い感じを出したくて「Std(スタンダード)」で書くことが多い。にじみ度合いにはもう一つ「Dry」があるが、これは「かすれ」がきつすぎるので字を書くのには不向き。水墨画などを描くのに使ったらいい味が出るかもしれない。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】6月23日(日)6:49〜9:13の伊豆長岡の空。36秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2366443006746896?s=100001436582002&sfns=mo