いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

竹落葉集むる昼は妻と蕎麦(あ)

今日は、一昨日の日曜(5/26)に狩野川で水遊びをしていて深みにはまり、溺れて亡くなった1年生の子の通夜があった。

私はその子とは直接の面識はないが、二つ上のその子のお姉さんとは面識がある。先日、お母さんと一緒にスーパーで買い物をしているところにばったり出会い、今度タブレットで絵を描こうと約束していた。

5月26日は北海道佐呂間町で39.5℃の5月史上最高気温を記録した日である。その日は全国的に暑かった。伊豆も暑かった。

地元の警察によると、亡くなった女の子は男子小学生5人と川遊びに来ていたという。午後3時20分ごろ、「中学生が流された」という119番通報があって警察や消防が捜索し、午後4時50分ごろ、女の子が心肺停止の状態で川に沈んでいるのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された(「朝日新聞」デジタル)。

30℃を超す猛暑で、近所の小学生に川遊びに行こうと頼まれたのだろうか。世話好きなその子は頼まれていやと言えず連れて行ったのだろうか。事故があった場所は、右岸はごろた石の河川敷だが左岸は岩盤で、狩野川の流れはその岩盤にぶつかって川床を深くえぐり、深いところでは水深7mにまで達するという(同。静岡新聞では5m)。橋の上から見るとそれほど深いようには見えないが、実際には相当深くなっているのだろう。

そこで足を滑らせて深みへ流された。流されてそのまま岩盤にぶつかり、水流に逆らえずに川底に沈んだ。そのとき、小学生3人も同時に流されたが、小学生は通行人の男性に救助されて命に別状はなかったという。

同じく流されて、片や助かり片や命を落とした。その子はたぶん最後の最後まで小学生3人を助けようと必死に頑張り、駆けつけた男性に無事救助されたのを見届けて力尽きたのではないだろうか。

焼香の順番を待つ間、斎壇に飾られた遺影の笑顔を見つめ、その尊い精神に合掌したことだった。

 

【今日の一枚】庭のシマダイミョウチク(縞大名竹)。

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決して庭いじりにハマったわけではないが、先週末に孫が来るというので頑張って庭木の下草をむしり取った。が、孫はバスケの試合で忙しいらしく、来なかった。来なかったけれど、惰性というか行きがかり上というか、どうせなら梅雨入り前に庭の全部をやっつけてしまえとばかりに、シマダイミョウチク(縞大名竹)周りにも手をつけた。

この近くには2mほどのツゲ(柘植)の木が植わってあったのだが、サルスベリ(百日紅)の下にも1本あるからここには要らないと伐ってしまった。それが3年前の6月9日。ところがその後、地下を張った根から新しい芽がニョキニョキ生え出て、シマダイミョウチクを超えて濡れ縁の下まで迫ってきた。

ツゲは強い木で、3年も経てば1mほどの丈にまで成長する。もともとここには要らないと伐ったツゲだから、今さらうじゃっと生えても鬱陶しいだけ。剪定バサミで切れる今のうちだとバッサバッサ刈り切った。ついでに根元にたんまり敷き積もっていた竹の枯葉も熊手で掻き取って、ああすっきり。

【書】「午」ゴ・さからう(No.138)

▼甲骨文

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▼金文

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杵(きね)の形の器。これを呪器(じゅき)として、邪悪を御(ふせ)ぐのに用いた。その儀礼を御(ぎょ=禦)という。御の最も古い形は〓1(甲骨文)で糸たばのようにみえるが、のちには〓2(金文)の形から午となる。これを呪器として用いて卸(しゃ=おろす)となり、卸が御のもとの字である。十二支の一の午に用い、のち十二支獣の名にあてて「うま」と読む。時刻では午前十二時をいう。「さからう」の意味にも用いる。<『常用字解』より>

甲骨文はマッチョなボディビルダーの決めポーズで、金文は、しなを作って腰ふるフラダンサーに見えて、実際そういうイメージで書いた。

金文の、腰から下のラインの太さは、どういうふうに出しているんだろうと悩んだが、最初に芯になる一本を書き、次に左と右に塑像のように肉付けした。ていのいい二度書きだね。でも本当はどう書いていたんだろう。

 

【タイムラプス】5月28日(火)4:51〜7:35の伊豆長岡の空。20秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2319350291456168?s=100001436582002&sfns=mo