いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

満天星の花を鳴らして囲碁の客(あ)

テレビで「NHK囲碁フォーカス」を見ていたら、大きな栗畑氏がやって来た。昨日の水晶苑では「明日1時頃に行くから」とは言っていたが、それより早い正午ちょっと過ぎに来た。家にいても暇だからちっと早く来たと言う。実際、暇でしょうがないといったふうだった。

前回はお茶の一つも出さずに失礼したから、今回はお湯を沸かして待っていた。それでお茶を出そうとしたら、家で飲んできたばかりだからいらないと言う。そう言われても出すのは女の人で、カミさんがいたらきっとお茶菓子を添えて出していただろう。が、私は出さない。出さないで碁盤を文机の下から引きずり出す。

碁盤は碁石と一緒に、平塚の身近の人の形見として譲り受けた。碁盤は本榧足付6寸の、私にはもったいないくらいの立派なものである。前回、大きな栗畑氏が、「いいの持ってるじゃあ」と褒めてくれた碁盤だが、実はこれこれで今私の手元にあると経緯を言い、身近の人は九谷門下生と一緒の小学校に通っていた人だと説明すると、「平塚は囲碁の街だからな。私もツアーのバスで一度行ったことがあるよ」と栗畑氏。そうして、しばし九谷門下の錚々たるメンバーの話になった。

ところで、今日の対戦成績はというと、9局打って○●●●○○○●●の4勝5敗。2局目から3連敗し、5局目から3連勝して巻き返したように見えるが、実は、4子置いて3連敗したので5局目からは石が1つ増えて5子置いたのである(あらかじめ二人の間でそう取り決めた)。それで3連勝し、再び4子に戻ったら、たちまち2連敗を喫した、というわけです。

大きな栗畑氏は6時を回ったところで帰っていった。なんだかんだで6時間近く碁を打っていたことになる。でも、疲れた感じはまったくない。毎週欠かさず見る「NHK杯テレビ囲碁トーナメント」は見ることができなかったが(栗畑氏はビデオに撮って後で見ると言っていた)、集中して9局打てたことに何よりの満足感を覚える。

私の仕事が始まるこれからの平日も夜に碁を打ちに来るというから、いよいよもって本格的な囲碁三昧の生活になりそうな気配。

 

【季節の花】ドウダンツツジ(灯台躑躅・満天星躑躅)。

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道路に面した家の前庭に咲く。葉は枝の先端に開くんですね。その葉の付け根から壺形の可愛らしい花がぽろんと咲く。これが晩秋には真っ赤に紅葉するから、ドウダンツツジは春と秋と二度楽しめる。

「ドウダン」に「灯台」の字を当てるのは、分枝する様子が「結び灯台」の脚に似ることによる。結び灯台とは、3本の丸棒をひもで結び、上下を開いて立て、上に油皿を置いて火をともすもので、宮中での夜間公事などに際して用いられた。<https://kotobank.jp/word/結び灯台-641729>

それにしても、写真で改めて見ると、ドウダンツツジも松の枝も前の道路にずいぶんせり出しています。今の家に住んでからずっと放ったらかしにしているから、そうなるのは当たり前。そろそろ短く刈らないと通行人の邪魔になりそうだから、GWあたりになんとか片付けるとしましょう。

 

【書】「帰(歸)」(No.96)

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もとの字は歸に作り、●(し=師の左のパーツ)は、脤肉(しんにく=祭りの肉)の形。軍が出発するとき、祖先を祭る廟(みたまや)や軍社に肉を供えてお祭りをし、その祭肉を守護霊としてささげ持って出発した。帚は箒の形で、これに酒をふりかけて廟の中を清めるために使った帚(ほうき)で、廟を意味した。古い字形は●(し)と帚とを組み合わせた形であるが、のち止(足あとの形)をそえて、帰るという意味を加えた。それで歸は、軍が凱旋して帰ると、携えていた祭肉を廟に供え、無事に帰還(帰ること)したことを祖先の霊に報告する儀礼をいう。帰とは、もと軍が「かえる」という意味であったが、のちすべて「かえる」の意味となった。<『常用字解』より>

書いて面白いと思ったのは、字の解釈とはまったく別に、左の大きな口の人に何か威圧的なことをがつんと言われて、右の人がぎょえ〜とひるんでいる図を連想したこと。甲骨文は、まさにそんな面白さの宝庫です。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】4月14日(日)5:32〜7:50の伊豆長岡の空。34秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2247404958650702?sfns=mo