いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

緑陰は源の水湧くところ(あ)

正午過ぎ、カミさんが伊豆へやってきた。
小田原に寄って孫を連れて来ようと思ったが、孫はミニバスケの試合があるとかで一人でやってきた。それなら始末に困っていた粗大ゴミを運べると思い、これ幸い、ゴミ処理センターまで行ってくれるかと頼んだら、「車の運転で疲れたから休ませて。明日でもいいでしょ?」と言ってゴロンと横になった。
横須賀から車を運転してくるとなると、逗子、鎌倉、江ノ島の渋滞を覚悟しなければいけない。平日ならいいが日曜(しかも夏)ともなると逗子から江ノ島へ抜けるまでの渋滞は半端じゃない。今までは藤沢がスタートだったから海岸線の渋滞は免れていたが、これから夏本番を迎えるとあっては伊豆に向かうのを益ます難儀に思うかもしれない。
カミさんは今年いっぱい仕事をするんだと言って横須賀の実家に残った。もともとカミさんの実家には長男が居候していて、去年まで義母(94歳)の面倒を見るという名目で一緒に暮らしていた。今は義母は東京の施設の世話になっていて、代わりにカミさんが実家に戻って長男と暮らしている。
だから、仕事もせずに一人伊豆で好き勝手なことをしている私を「ノーテンキ」とカミさんは見るのである。たぶん死ぬのは私の方が先だわとカミさんは言うのである。どっちが先に死ぬかなんて、そんな死ぬ競争をしてるみたいに言わなくたっていいでないの、どうせ死ぬときは死ぬんだから。その前に好き勝手なことをやっていればいいのよ。残らず金を使っちゃえばいいのよ。私はそう思うのだが、カミさんはそう思わない。

【写真】コンビニに下りる坂の途中にある水道施設。

f:id:jijiro:20170611144015j:plain

水晶苑では湯上がりに、勝手に冷蔵庫から冷水を取り出して飲む。看板氏と一緒の時は同じテーブルで差しつ差されつ飲む。ここの水は旨い、と看板氏は私のコップに水を注いでくれる。まるで酒を注いでるみたい。
「ここ」と言うのは「大仁」の謂である。なんのことはない、水は単なる水道水なのだが、これが旨いのである。先日、私を顔見知りの仲間に入れてくれた女性陣も「美味しいわあ、天城の水」と、いかにも天然の水のように言う。
そもそも、なぜ大仁の水道水は旨いか。看板氏が私にレクチャーしてくれたところによると、大仁は下畑・宗光寺・立花の三箇所に水道施設があって水源は全て湧き水である、かつては今の旭化成のところに酒を造っている蔵があってこの水を使っていた、大仁の水道料金は市に合併する前の旧三町(長岡・韮山・大仁)でいちばん安かったが、合併して均したら料金値上げになったもので酒を造るのをやめた、と言う。
なるほど、そういう経緯があったんですね。同じ伊豆の国市内でも水道の水源はそれぞれ旧町のままで水質も違うらしい。料金だけが同じ。大仁地区の水道水は今でも湧き水を使っているから、だから旨いんですね。
写真は大仁・立花の水道施設。ここで湧き水を組み上げているらしい。そしその水が我が家にも供給されている。ありがたいことです。

【淡彩画】ブルージュの水辺(No.99)

f:id:jijiro:20170612125102j:plain

ポイントは「日なたと日影の明暗のコントラストを明確に描くと日差しのある晴天が、弱いコントラストで描くと曇りの日の様子が描ける」こと。
日差しのある晴天のつもりで描いたが、曇りのようでもある。もっとコントラストを明確にすべきだった。

【タイムラプス】6月11日(日)5:27〜8:21の伊豆長岡の空。21秒。

【歩数】2,500歩。