いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

秋の色いよよ濃くして山の里(あ)

 今日は支援員としての限界を感じた日だった。

 支援員は、子どもの学習発達の程度に応じて「支援」する立場にあり、「指導」をしてはいけない。指導は正規の担任、もしくは教科授業担当者が行うもので、支援員は指導してはいけないと、そう弁えてきた。

 担任はクラス全体を掌握する立場にあるが、その担任が不在の場合、支援員ひとりの判断で学級活動を行なっていいかという問題に今日は直面したのである。

 直面したのは、5、6校時の学級活動の時間。私は「福祉カレンダー」を作るよう指示したが、その作業の途中で、ある一人の子が疲れた眠たいと言って畳コーナーに横になった。「家に帰りたい」とも言ったので、「そうか、じゃあ家に連絡するから帰り支度をしなさい」と告げた。そうしたら、ピクッと起き上がって作業の続きをやり始めた。

 これで一件落着かと思いきや、すぐまた横になった。今度はそこへもう一人が加わった。私も疲れたとその子の隣に横になったのだ。さらにさらに、3人目が加わるに及んで、作業を継続できる状態ではないと判断し、ゆっくり体を休める時間にした。

 私のはらわたは煮えくりかえっていた。こんなんでいいのだろうか。幼稚園児ならお昼寝の時間と称して、眠たくなくても目を閉じて横になる時間があるが、中学生なのだから体が多少きつくても堪えて作業を続けるべきではないか、作業を放棄して横たえている体を椅子に戻す必要があったのではないかと葛藤した。でも、それは支援ではなく指導だ。担任の留守に支援員がそんなことをしていいのだろうか。

 結局、私はそこに「指導」を入れなかった。椅子に座って作業を続けなさいと二の腕をつかんで強引に立たせるのは「指導」になると思った。

 が、陸揚げされた冷凍マグロのように畳にゴロゴロしている光景をじっと見ているのは耐え難い。それで、「いいよいいよ、たんと休みなさい」と言い、消灯して用もない職員室に戻った。戻って、悶々と授業終了を待った。

 支援員は、支援する子と常日頃から良好な関わりを意識しないといけない。感情的に対立すれば支援できない。今日は、少なからず感情的になった。でも、最後はグッとこらえた。自分の感情を引っ込め、支援員として掃除を手伝い、支援員としてフッ素洗口を見守り、支援員として下校を見送った。

 そして、支援員の仕事は、今年度で終わりにしようと思った。

 

【今日の一枚】秋の庭。

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 落ち葉をかき集めたばかりの庭。10/18(日)に撮った。でも、その後2日でまた葉がだいぶ落ちた。

 見える庭木は、右から、スモモ(李)、ビワ(枇杷)、シブガキ(渋柿)、キョウチクトウ(夾竹桃)。右端に甘夏の枝だけちょこっと見える。この下にかつてはミニ菜園があった。

 

【書】「西狩」せいしゅ(No.488)

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 「①西方へ狩猟に行く。②内乱をのがれて天子が西方に移る。」(『旺文社漢字典』第2版)

 「西」の甲骨文字と金文の字形は荒目の籠の形。おそらく鳥の栖(す)の形であろう。西を方位の名の「にし」の意味に用いるのは、「あらめのかご」の意味とは関係なく、その音を借りる仮借(かしゃ)の用法である。→白川静『常用字解』

 「狩」の音符は守(しゅ)。狩猟(かりすること)の狩には、もと獣(獸)の字を用いた。獸は〓(きゅう)と犬とを組み合わせた形。→同

 

〓(きゅう)↓

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【タイムラプス】10月20日(火)5:10〜7:19の伊豆長岡の空。31秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1318796540647886848?s=21