いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

人知れず咲く万両の花の自負(あ)

 今日は地元自治会で近くの平石古墳の草刈りをする予定だったが中止になった。一昨日(7/17)、中止の連絡がLINEで入った。

 平石古墳の草刈りは、毎年、夏休み入って最初の日曜に子供会を中心に行われ、その後で考古学会の講師による勉強会を催していた由。ところが、今年はコロナ禍で子どもたちの夏休みが来月に延び、では子供会抜きでやりましょうかという段取りになっていた。

 平石古墳とは何ぞや。

 伊豆の家をセカンドハウスとして藤沢と行ったり来たりしていたある日、伊豆長岡駅に向かう途中の坂道で、隣町の中学校の生徒グループから平石古墳の場所を尋ねられた。その時私は、お恥ずかしいながら、平石古墳の存在を知らなかった。

 宗光寺横穴群のことはかろうじて知っていたので、「向こうの(と指差しながら)横穴群のことか」と確認したら、「そこは今見てきたところで、これから平石古墳の方に回ろうと思ったら行き方が判らなくなった」とリーダーっぽい子が言う。「ごめんね、私は地元の人ではないのでよく判らない。他の人に訊いてみて」とその場を逃げた。その時は、あくまでも主生活は藤沢で、伊豆は二の次三の次という意識があった。だから、あながち「地元の人ではない」というのは嘘ではない。

 それで、伊豆の知らなさ加減に我ながら腹が立ち、それからというもの、意欲的に地元の史跡を巡り歩くことにした。平石古墳もその一つ。

 平石古墳入口に建てられた市教育委員会の案内板には、「昭和5(1930)年に刊行された『静岡縣史』第一巻によれば、この第4号墳(平石古墳)は大正5(1916)年3月、道路修復工事の際に発見された」とある。また、「出土した刀身や鉄鏃(やじり)、須恵器(古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器)などの遺物から、構築時期は7世紀の中頃であると思われます」と推定している。

 そんな遥か昔からこの地に根ざす人がいたとは驚きだ。私もたまたまここの住環境に一目惚れし、結果的に終の住処と決めたのだったが、遥か古代の人々はどこに魅力を感じてこの地を終の住処と定めたのだったか。

 そんなことに思いを馳せながら、これからの余生をたっぷり味わおうと思っている。

 

【今日の一枚】マンリョウ(万両)の花。

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 これで俳句を捻ろうとしたが、歳時記では「万両」は冬の季語になっている。赤い万両の実は福を呼ぶ正月飾りのイメージが強いからね。でも、白い花が咲くのはこの7月。だから、「万両の花」と詠めば夏の季語と扱ってよかろうと勝手に判断して句を作ることにした。確かにこの季節に咲いたのを見ているのだから、歳時記に載っていない季語だからダメ、とは一概には言えないよね。

 大体、南北に長い日本列島だから、例えば桜一つとっても、地方によって開花はずれるのだから、それぞれの暮らす土地で、今この瞬間を句に詠めばいいのだと思う。俳句は、自然と一体になったところから生まれる言葉の芸術ですから。

 

【四コマ絵日記】合唱コンクールの練習開始(No.6)

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 四コマのストーリーが頭の中でまとまらず、我ながら才能の無さに呆れかえる。

 翻って、新聞にこれを毎日掲載する漫画家は、ただそれだけで驚嘆に値する。

 さりげない日常から四コマ漫画のアイデアを拾うのは、そうそうたやすいことではない。

 毎日なんて、とても私にはできません。せいぜい週に一度がやっとです。それでも地道にコツコツ描いていけば、いくらぼんくら頭の私でもいずれは四コマ頭になってくれるかなあ。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】7月19日(日)6:36〜10:17の韮山方面の雨空。27秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1285139097607004160?s=21