いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

梅雨の蝶往んで土竜塚二つ(あ)

 仕事を終えて家に着き、バイクを車庫に仕舞おうとして転倒した。こんなことは初めてだ。

 このところ雨の日が多く、ちょっと前に車庫前の側溝に被せてある鉄板にタイヤを滑らせ転倒しそうになった。そのときはなんとか足で踏ん張ったが、今回は雨が降っていない。なのに転倒してしまった。

 転倒したのは右側で、スローモーションのようにゆったりした動きだったから、車庫のブロック石にミラーをこすっただけで、身体のどこも痛めることはなかった。が、負った精神的ショックは小さくない。

 年だろうか。老化がじわじわ進んでいるのだろうか。

 そういえば、このところ学校の廊下を普通に歩いていて、つんのめることが多くなった。ある日、それを廊下の向こうからやってきた英語の学習支援員に見られて、思い切り笑われたことがある。「いや、私も人のことを笑えない年になったけど、今のは可笑しい」と言って、その場にしゃがんで腹を抱えるように笑ったものだ。そんなに笑うほどのことか?

 確かに体力はぐんと衰えたと思う。

 今日なんかも、体育の時間に50m走のタイムを計り、余った時間で子どもたちと野球をしたが、そのとき、私の投げたボールを打った子に、「先生、競走だ」とけしかけられた。「よしきた」とピッチャーマウンドから走った私が、バッターボックスから走ったその子に難なく追い抜かれてしまった。高校時代に50m走6秒4を記録した往年の若者も、今はヨレヨレの老人になったということだ。今50m走を計ったら10秒を切る自信ないなあ。いや、その前に走りきれませんって。

 もともと私は走るのが大の苦手だった。だから高校のサッカー部でもGKという特殊ポジションを選んだ。

 私がサッカーを始めたのは中2からで、中1はバスケット部に属していた。中2に上がるときにバスケット部が廃部になり(原因は不明。部員が足りないということではなかった)、次の部活を軟式テニスにするかサッカーにするか迷って、ボールの大きさがバスケットに近いサッカーを選んだ。で、中学は公式戦に一度も出ることなく卒業した。

 高校に入ってもサッカーを続けた。1年の5月のインターハイ予選直前でGKをやる人がいなくなり、急遽私に白羽の矢が立った。バスケットをしていたのならボールを掴むのに慣れているだろうという、極めて単純な理由からだった。また先輩に、フィールドプレーヤーが1人2人欠けても試合はできるが、GKがいなかったら試合はできないとおだてられ、ならばとその気になった。

 それからというもの、OBによる地獄のGK練習が始まった。それは「根性」がすべての、辛酸極まりない時代遅れも甚だしい練習だったが、それに耐えることができたのは、走るよりはマシだという思いがあったからかもしれない。

 

【今日の一枚】モグラ塚。

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 雨上がりの庭を見たら、物置小屋の前に二つほどモグラ塚ができていた。 

 モグラはあちこちにトンネルを掘って、庭木の根を枯らしてしまうという。

 するってぇと、柚子が枯れたのは、モグラのしわざだったんだな。

 

【ディジタル画】シャッターに手を添える女(No.54)

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 手の輪郭をはみ出して彩色されている。はみ出さないで色を塗る方法が確かあったはずだが、そこまで学習が進んでいない。レイヤーを操作するんだったかなあ。

 背景の線を「消しゴム」で少し薄め、彩色には「ぼかし」を入れてある。

 これで約1時間。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】7月16日(木)4:46〜7:05の伊豆長岡の空。34秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1284031022091231232?s=21