いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

己が身を灯されて跳ぶ竈馬(あ)

昨日(10/17)の福島民友新聞のコラム「編集日記」に興味深い記述があった。

いわき市出身の社会学者、開沼博さんが高校時代に聞いた講演が今でも忘れられないという。

そのときの講師は同校のOBで報道機関の人だった。講師は、「フランス革命のような歴史的事件を私たちが知ることができるのは、多くの人が熱狂する傍らで淡々と目の前に起こる物語を書き残そうとする人がいたからだ」と言ったと紹介し、「今まさに書き残しておかなければならないことが目の前にある。(中略)しっかりと向き合っていきたい。正確に、誠実に」と締めくくる。

「新聞週間」というタイトルが付けられたコラムだが、日常のどうでもいいような内容を淡々と書き綴るこのブログに勇気をもらった気がした。「今まさに書き残しておかなければならないこと」はプロの腕にお任せするとして、私が綴るのは、老後のありふれた日々を暮らす自らの姿だ。

それは、どうしても書き残しておくほどのものではない。どちらかといえば退屈な内容だ。でも、日々の暮らしは大概退屈なものだから、それを正確に書き残そうとすれば内容も退屈になるのは、これは仕方がない。毎日が波乱万丈のドラマだと疲れる。

というわけで、どこまで書き続けられるか判らないけれど、書ける限り書き続けていこうと思います。それが生の自分とリアルタイムで向き合うことにもなるから。

 

【今日の一枚】カマドウマ(竈馬)。

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別名「便所コオロギ」「オカマコオロギ」とも。数日前に洗面所へ行こうとして、それこそ、トイレ前の廊下でぴょんすか飛び跳ねていたが、今日は台所の流しの下にいて踏みつけそうになった。

「カマドウマ」は、「キリギリスやコオロギ、ウマオイに似るが、成虫でも翅をもたず専ら長い後脚で跳躍する。その跳躍力は非常に強く、飼育器の壁などに自ら激突死してしまうほどである。姿や体色、飛び跳ねるさまが馬を連想させ、古い日本家屋では竈の周辺などによく見られたことからこの名前が付いた」そうです。<https://ja.wikipedia.org/wiki/カマドウマ>

また、「竈馬は古くから存在を知られた昆虫であり、古名である「いとど」は秋の季語とされる。カマドウマが周辺の森林などから侵入し、多くの日陰や空隙と共に食料も提供してくれる土間の隅などに住み着くことも多かった」ともあり<同>、手元の歳時記(デジタル版)で「いとど」を引いたら、確かに秋の部にあった。「海士の屋は小海老にまじるいとどかな(芭蕉)」

 

【書】「登」トウ・ト・のぼる・すすめる・みのる(No.272)

▼甲骨文

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▼金文

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癶(はつ)と豆とを組み合わせた形。癶(〓1=はつ)は両足をそろえる形で、出発しようとするの意味がある。豆は脚の高い器の形であるが、ふみ台の形とみてもよい。登はふみ台の上に両足をそろえている形で、上に「のぼる、あがる」の意味となる。また甲骨文字・金文には別に豆(脚の高い食器の形)を両手(廾=きょう)で掲げている字形もあって、食器にお供え物を入れて「そなえる、すすめる」の意味となる。(後略)<『常用字解』より>

〓1(『超漢字』画像)↓

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甲骨文は、立派な角を持つオス鹿の剥製のイメージ。金文は、ごちゃごちゃしているが意外にシンプルな構成で、漢字の成り立ちがよく判る。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】10月18日(金)5:14〜7:14の韮山方面の雨空。29秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2580389342018927?sfns=mo