いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

余命幾許寒緋桜の風強し(あ)

今日で東日本大震災から8年。あの震災で亡くなった方は1万9598人。今なお行方の判らない方が2533人。

あのことが私の人生を大きく変えた。

それまで当たり前のようにしてあった日常の何もかもが、一瞬にして消え去っていくことを実感した。ついさっきまで隣にいた子が津波に連れ去られ、永遠に帰らぬ人になってしまった現実をどう受け止めればいいのだろう。

生きたくても生きることがかなわなかった人の無念を思うと、私の苦しみなんて屁でもない。そうして、私が今こうして生きてあることは、本当にありがたいことなんだと思える。

だから、あの日から愚痴を言わないことにした。嫌なことがあっても、それを楽しんでしまおうと思うことにした。そのように前向きに生きることで、それが震災に遭われた方々への供養であり祈りであると思っている。その思いをいつまでも持ち続けたい。

8年前といえば、私は終戦の8年後に生まれた。いわゆる「戦争を知らない子供たち」だが、こと東日本大震災で言えば、「知らない」と開き直るわけにはいかない。今から8年前に何があったのか、それを脳裏に刻み込んで置かなければいけない。それが今の私の生きる糧になっているし、伊豆に移住を決めた原点にもなっている。

福島原発事故の後始末は遅々として進まない。どころか、原発再稼働の動きすら見せる。8年前の事故で、もう懲りたはずではなかったのか。喉元過ぎて熱さを忘れてしまったか。

阪神淡路大震災の復興で建ち並んだノッポビルを見て、地元のおばあちゃんが言ったそうだ。そんな立派な建物よりも、お稲荷さんの祠を建ててほしい、そこで近所のお友達とおしゃべりをするんだ、と。本当の復興はきっとそういうところにあるんだと思う。

今日は(今日も?)なんだかとりとめのない話になったが、あの日を忘れないために今の思いを述べてみた。

 

【季節の花】カンヒザクラ(寒緋桜)。

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通学路途中の坂に寺院の墓地があって、そこの斜面に咲く。風が強く、枝がゆさゆさ揺れてピントが合わせづらかった。アップの花は枝を指で捕まえて撮った。

 

【書】『安」(No.63)

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「宀」(ベン)と「女」とを組み合わせた形。「宀」は祖先の霊を祭っている廟の屋根の形。「安」は廟の中に女の人が座っている形で、嫁いできた新婦が廟にお参りしていることを示す。これによって新妻ははじめて夫の家の人として認められ、夫の家の祖先の霊に守られて、やすらかで平穏な生活ができる、とされる。

また、儀式のときに清めのためのお酒をしたたらせている字形も見える。

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今日は字形の面白さにひかれて、二種類の甲骨文を書いてみました。説明は、白川静『常用字解』を参照。

【温泉】一二三荘。

明治大学自転車部の団体さんと一緒になった。一二三荘で合宿しているという。訊いたら部員は18名だそうで、修善寺のベロドロームや競輪学校をお借りして練習しているのだとか。太腿が、見るからに自転車漕ぎのたくましさで、若々しさがみなぎっていました。

【タイムラプス】3月11日(月)

撮影時、雨がパラパラ来ていたが、この程度なら大丈夫だろうと伊豆長岡方面にカメラを向けた。が、途中で少し強くなったのでカメラを軒下に避難させて韮山方面を撮った。

①6:03~6:40の伊豆長岡の空。35秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2196714417053090?sfns=mo

②6:40~7:52の韮山方面の雨空。35秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2196716450386220?sfns=mo