いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

寒風に吹かれかつての馴染み駅(あ)

平塚の身近の人が今年4月に急逝し、その後、生前の思い出を語る会を2ヶ月に一遍の割合で行なってきた。今日はその4回目。
奥さんの負担を減らそうと、各自一品持ち寄ることにしているのだが、今回私は、庭の甘夏で作ったマーマレードを集まるみなさんの分(6人分)用意した。酒宴のつまみにはならないけど、手作りということで勘弁してもらった。
この瓶の重いことといったら、運ぶのに背負ったリュックの底が抜けるんじゃないかと思うくらい重かった。量ってないけど、体感で5kgの米2袋分くらいはあったな。
会合は4回目になるけれど、今は亡き身近の人の思い出がたくさんありすぎて語り尽くせない。奥さんが遺品を整理していたら、新たに写真が出てきたと言って、その写真を見せてくれた。それを見るにつけても懐かしさがこみ上げてくる。
私や今日集まった人たちがそうなのだから、奥さんはなおさらである。思い出の染み込んだ家にお一人で暮らし、次々に出てくる遺品を眺めては、いつもそばにいた人が今はいないという現実を未だに受け止められないでいる。その辛さを思うにつけ、心が痛んでしかたがない。
帰り際、「来年もまた来るね」と故身近の人の遺影に挨拶をし、奥さんの心づくしの手料理に謝意を伝えて平塚を後にする。
この、一品持ち寄りで始まった思い出を語る会だが、結局なんだかんだで、今では奥さんの手料理がこれでもかというくらいテーブルに並ぶ会になっている。この日のために、あれを作ろうこれを作ろうといろいろ気を遣っていただいただろうことがヒシと伝わってくるお料理ばかりである。
「普段は一人だから、出来合いで間に合わせているのよ」と奥さんは言う。私も普段はそうだから、それはよく判る。「だから、こうしてみなさんが集まってきてくれことが何より嬉しいの」とも言うが、散々呑み、散々食い散らかして立ち去るテーブルの後片付けを一人でする奥さんのことを思うと、何だか厚かましい気がしないでもない。一緒に後片付けをしてくればよかったな。ごめんね、次からそうするね。


【写真】湯河原駅ホームの座布団。

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平塚から熱海行きの電車に乗っていたら「次は湯河原」というアナウンスが入った。さらに「湯河原の次は真鶴に停まります」って、それ、上り電車じゃん。
寝込んで熱海駅で降りるのを忘れ、乗っていた電車がそのまま折り返し上り電車になって発車してしまったらしい。調子こいて昼から泡盛ロックをガバガバ呑んだのがいけなかった。
湯河原にまだ高校があった頃、毎日の通勤にこの駅を利用した。小田原方面から通う生徒がいちばん多く乗る通学時間に合わせ、車内マナー向上のためと称して、あえて同じ電車に乗れと命ぜられたことを思い出す。あの時ほど、ああ車の免許を取っておくんだったと後悔したことはなかった。


【タイムラプス】12月26日(水)6:13〜8:41の伊豆長岡の空。36秒。

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