いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

ふるさとの訛りは誇り柿紅葉(あ)

6校時は音楽鑑賞教室。体育館で「太鼓集団 毘沙門」の演奏を聴く。
和太鼓の演奏はこれまで何度か聴いたことがあるが、改めて生の大音響の迫力に圧倒された。フロアに直に座って聴くことで、尻から振動がビリビリ伝わってくる。

体育館にはあらかじめ全校生徒分の折りたたみ椅子が用意されていたのだったが、演奏者側の意向で直に座るスタイルに急遽変更になったのらしい。出番のなくなった椅子は体育館の両脇にずらりと積まれてあった。
これまで聴いた和太鼓演奏は太鼓だけのものだったが、今回の毘沙門の演奏には、篠笛、三味線・手振り鉦が加わって、力強さと華やかさが調和した演奏になった。
メンバーが各楽器の説明をしていく中で、手振り鉦を叩いていた人が、「これは青森のねぶた祭りに使われる楽器です」と紹介して気づいた。そうだ、その音色はまさにねぶた囃子の鉦そのものだ。
だめだ、ねぶた祭りと聞いただけで気持ちがじゃわめいてくる。ねぶた囃子の鉦の音を聴くだけで懐かしさがこみ上げてくる。これはどうにもならない津軽の血だ。
室生犀星は、「ふるさとは 遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」と『小景異情』に詠んだが、この有名な冒頭は、詩人が帰郷した折に冷ややかな扱いを受けて作ったものとされる。ふるさとは誰にでも懐かしく思い出深い場所ではあるが、それだからこそ冷たくされたことが余計に悲しかったのだろう。
私の生まれ育ったふるさとは青森である。最初に覚えた言語は津軽弁だし、物心つく頃に耳にした楽器は門付けの太棹である(もしかしたら、その中に高橋竹山がいたかもしれない)。そして高校で弾けたねぶた祭り。あのじょっぱり太鼓、篠笛、手振り鉦の囃子に合わせて跳ねたときの浴衣としごき、たすき、腰巻きは、実家が解体される前にこっちへ持ってきて大事に仕舞ってある。
室生犀星はそうではなかったようだが、私がふるさとへ帰れば、その当時の仲間がいつでも温かく迎えてくれる。そんな温かいふるさとを思うと、いつもほっこりする。今は遠く離れて暮らしているけれど、どこにいても心にはふるさとが一緒にある。それをとてもありがたく思う。青森に生まれ育ってよかったと思う。


【写真】柿紅葉(というほど鮮やかではないが)。

f:id:jijiro:20181027094302j:image
隔年で実を結ぶ庭の渋柿は、今年は実の生らない年。こうして葉っぱだけを色づかせ、滋養を蓄えて来年の実りにつなげる。
この紅葉が枝から離れて落下したのが柿落葉。どちらも俳句の季語に取られるが、柿紅葉は晩秋で、柿落葉は初冬の項に属する。
俳句を嗜む人にはそれぞれに興趣をそそられる題材のようだが、私の感性には今ひとつ響かない。そんなことだから、いつまで経っても俳句が上達しないんだな。


【温泉】一二三荘。


【タイムラプス】10月26日(金)5:34〜7:41の伊豆長岡の空。31秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10217743462400484/