いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

屋根未だ張られぬ小屋や蝉時雨(あ)

気がついたら、ブログ投稿数が昨日で2,006になっていた。
だからといって、これといった感慨もない。毎日書き続けていればいずれは通過する数字、くらいにしか思っていない。それよりも、毎日書き続けること、そのこと自体に我ながら狂気めいたものを感じないでもない。
書き始めたのは2013年4月1日。きっかけは、その日から藤沢と伊豆とを行ったり来たりする新たなライフスタイルが始まったことによる。
当時は藤沢のマンションでの生活がメインで、週に一度、水曜の朝はそこから非常勤講師として秦野に出勤し、午前の授業を終えてそのまま伊豆へ向かい、大場(三島)の病院に寄ってから週末まで伊豆の家で過ごすというのが一週間のスタイルだった。その伊豆にいる間に、築40年のぼろ家をあちこち自分好みに修繕するのが楽しみの一つだった。
そんな生活をしながら半年経った9月、三島の高校から非常勤講師の話が舞い込んだ。その年の1月に、私がインターネットで静岡県教育委員会に名簿登録しておいたのだったが、その糸が繋がって8月末に県教委から連絡があったのである。
三島の授業は月曜1校時のみ。たったそれだけのためにわざわざ講師を引き受けてくれたと、校長はじめ職場の人たちからは随分ありがたがられたけど、私は私で、静岡県に勤める縁ができたことをありがたく思っていた。
それで9月からは、月曜の朝いちばんに辻堂駅6:20の沼津行きに乗り、三島駅のコンビニでコーヒーを飲みながら学校の門が開くのを待ち、授業を終えた後は三島の食事処をあちこち開拓して楽しむという生活が始まった。
週の始まりがそうだから、今度は水曜の秦野へは伊豆から通うようになった。自転車で急坂をかっ飛ばして伊豆長岡駅へ向かい5:42の始発に乗った。冬場は、朝、家を出る時間の空はまだ真っ暗で、手袋をしていても手が寒さでしびれたことを思い出す。
その始発に乗ると、ちょうど根府川で海から昇る日の出が見えて、それがたいそうきれいだった。というか、まぶしかった。その頃は、長い通勤時間を利用してブログを書いていたが、電車が根府川に来るとまぶしすぎてiPhoneの画面を見てられない。それで小田原に着くまでiPhoneから目を離して車窓の陽光に目を細めたりしていた……。
私のブログは、このようにどうでもいいような文字の羅列だが、さりげない日々のちょっとした変化に目を留め、それを文章に書き残すことを眼目にしている。だから政治は語らない。

テレビはニュースとサッカー日本代表の試合しか見ないから流行りの歌もドラマも知らない。野の花が咲くのを見て、ああこの花が咲く季節になったんだと駄句をひねり、温泉に浸かりながら、囲碁を打ちながら、お年寄りの昔語りを聴きながら、たまに家に来るいたずら坊主の相手をしながら、そんなこんなをブログに書き綴っている。
これからも、この調子で書けなくなるまで書くつもりでいる。その、書けなくなる直前にどんなことを思うのか、そして最後の言葉をどんなふうに締めくくるのか。日々こうして書き綴っては、つむがれていく自分のドラマを楽しんでいるのである。


【写真】薪小屋作り3日目。

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今日は、垂木を打ち付けた。ホームセンターからバイクで運べる木材でできるのはここまで。屋根は軽トラの荷台にかぶせる幌のようなものにしようかと考えている。波板だとバイクでは運べない。


【温泉】一二三荘。


【タイムラプス】8月22日(水)7:04〜9:24の伊豆長岡の空。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10217194357073194/