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いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

秋の暮れビルの谷間の電話箱

横浜に勤務していたときの元同僚の個展に出かけた。場所は東横線の武蔵小杉。

私は大学の5年目と6年目の2年間、川崎市の小杉御殿町のアパートに住んでいた。最寄り駅は東横線の新丸子。それ以前は同郷のクラスメイトと世田谷区上野毛で一軒家をルームシェアしていた。

クラスメイトが故郷に仕事先を見つけ、さて、私も新しい住まいを探さねばと思ったとき、多摩川を渡れば家賃はぐんと安くなるという噂を聞いて、武蔵小杉の一つ手前の新丸子を選んだ。

今から40年前、借りたアパートの家賃は六畳一間でミニキッチンが付いて確か1万2000円だった。トイレは共同だったが、二つあったから塞がって往生したということは一度もない。東京の相場より3割は安かったのだと思う。

今日の個展は、案内のハガキをもらってからずっと楽しみにしていた。元同僚の作品を見るのが楽しみというよりも、40年前に暮らしていた界隈が、今はどんなふうに変わっているか、あるいは変わらないで残っているかを確かめたかった。

まず、いの一番に行きたいと思ったのが「六甲」という釜飯屋。駅を降りた左側にあった。釜飯屋だが、私はここで釜飯を食べたことがない。カウンターで、いつも決まって手羽の塩焼き(串に刺してない)を10本頼んだ。これに半分に切ったレモンをじゅっと絞り、わさびをたっぷり付けて食う。私が焼き鳥にわさびを付けて食うようになったのはここがスタートである。呑み物はビールの生ジョッキ、次にコップの冷酒2杯。これがいつも晩飯の代わりとなっていた。

もう40年も前の話だから、もう店はやってないかもしれないと思ってネット検索したら、ああ残念、店はやっぱりなくなっていた。が、昔、そこで働いていた人がやっている店というのがヒットして、クリックすると、おお、手羽先山盛りの画像がどかんと載っているではないか。画像の手羽先は唐揚げで、私が食った塩焼きとは違うが、盛り方は昔のまんま。「つくね」を「みんち」と言うのも昔のまんま。ここだここだ、画廊の帰りはここに寄るしかないと、早速ブックマークに保存。

武蔵小杉に着いたのが午後3時半過ぎ。呑み友とは、午後5時半に直接画廊で落ち合う話になっていて、ひとまず画廊の場所だけ確認して、それからかつて住んでいた界隈を歩いてみようと思って早めに家を出たのだったが、なんと、画伯と、画廊が入ったビルの正面玄関でばったり出会ったではないか。「おやお久しぶり、来客がないから一休みしようと思って今降りて来たところ」と画伯。

画伯は、自ら個展の案内をする構えで私をエレベーターに乗せる。こうなれば作品を見ないわけにはいかない。近況報告を交えながら一渡り作品を見て、夕方また来ますと告げて画廊を辞す。

画廊をを出たのがちょうど午後4時。JR南武線のガードを潜って、そのまま真っ直ぐ等々力競技場に向かって歩く。歩くこと9分で目指す焼き鳥屋に到着。思った以上に近かった。

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そこからアパートのあった小杉御殿町に向かう。歩いた道が中原街道であることを今日初めて知った。こんなに車が多かったっけ、この道を横断して銭湯に行ったんだっけか、銭湯ってどこにあったんだっけ、銭湯の帰りに寄った小料理屋はどの辺り?

……まるで思い出せない。そうだよな、あれから40年も経つんだもんなあ、すっかり忘却の彼方、ですよ。

ん? あっ、この公衆電話、見覚えがある。ネスカフェの空き瓶に10円玉をじゃらじゃら入れて青森に電話をかけた、あの公衆電話だ。まだあったんだ。

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すると、道の向かいのアパートがかつて住んでいたアパートということになるか。第二◯◯荘…。そうだ、思い出したぞ、ここだここだ、今は2階建になっているけど、アパートの名はそのまま残っていた。

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やっと探し当てたかつてのアパートの前に立ち、夕闇迫る武蔵小杉のタワービルを眺めては、40年という時の流れを噛みしめたことだった。(あ)

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20,017歩。月間記録。