いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

刈られても刈られてもなほ夏の草

昨日よりもだいぶ涼しく感じられたので、裏庭の草を一気にむしり取ることにした。

広い庭なら草刈機でがりがり刈ることもできるが(南隣さんはそうしている)、うちは草刈機を使うほど広くない。それに庭木が20本以上植わってあるから、どっちみち機械を入れるのは無理。すべて手作業にならざるを得ない。

午前10時を過ぎて作業開始。長袖シャツにトレーナーパンツ、それに麦わら帽子をかぶって長靴を履く。作業手袋をはめた手には前のオーナーが残していった草刈り鎌だ。これで麦わら帽からネットを垂らしたら、スズメバチがやってきても平気なくらいの完全防備スタイルである。

iPhoneでラジオを聞きながら、まずは物干し竿の下から取り掛かる。ここには青紫蘇が自生していて、葉はだいぶ虫に食われているものの、茄子味噌炒めくらいの料理には使えそうな気がして、青紫蘇はそのまま残しておくことにした。ついでに孫が掘った落とし穴(私をおびき寄せて落とそうと企んだ穴)も、移植ごてを突き刺したまま残しておくことにした。

目を上にあげて柚子の枝を見る。去年はこの時期には青い実が生っていたように思うが、今年はどうしたことだろう、花も見てないし実も見てない。甘夏の方はかなりの数の実がぶら下がっているというのに……。と思って、葉の茂みの奥の方に目をやると、あった。ピンポン玉大の実が、一つ二つ、おお、その奥にも三つ四つ。

いつの間にか実が生っていた。それにしても実の結び方に偏りがある。手前の枝には一個の実も生っていないのに、奥の方の枝に集中して実が生っている。これは思うに、梅雨前頃、風通しを良くするためにと行なった剪定がまずかったのだろう。芽の出るはずの枝をことごとく切ってしまったからに違いない。刈込鋏が届かなかったところは、例年通りこうして実を結んでいるのが何よりの証拠だ。剪定ってただ枝を切ればいいと思っていたが、必ずしもそうでないことを、紫陽花に続いてここでも改めて学びました。

風呂場の窓の外には椿と山茶花が植えてある。季節になればそれぞれ美しい花を咲かせてくれるが、花のない夏場は常緑の葉に蔓草が絡まり、目隠しにはちょうどいいかもしれないが、それがどうにも暑苦しい。とりあえず目のつく手前だけ蔓草を刈ったが、二樹分だけで45Lのゴミ袋がいっぱいになってしまった。3mの崖に面する方は手の施しようがないのでそのまま放ったらかし。

北隣さんとの境には、肩の高さにまで及ぶセイタカアワダチソウが我が物顔に生えていた。今まで手入れしないでごめんなさい、さぞかし見苦しかったことでしょう、申し訳ないことでしたと、隣家の手入れの行き届いた庭に目をやりながら、心でつぶやいたことだった。

草取り作業は約2時間。曇り空で直射日光は避けられたが、それでも終わってみれば衣類は汗でびっしょり。汗に濡れた衣類を洗濯機に突っ込み、シャワーを浴びで昼食を摂る。中腰の作業で腰まわりに疲労が残ったが、和室に大の字になって腰を伸ばしていたら、そのまますう〜っと眠っていた。こんな清々しい疲労は久しぶりである。

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タイムラプスは、8月14日(日)5:04〜7:57の伊豆長岡の空。。

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