いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

土産菓子食む同僚のアイスティー

職場に向かっている途中でカミさんから電話が入った。こういうときの電話は大概、孫の世話を頼まれたが都合はどうか、というものだ。で、出たら果たしてそのとおりだった。

「今度の日曜(14日)、おとうさんの都合はどう?」

カミさんは私のことを、長男が生まれて以来ずっと、おとうさんと呼ぶ。

「何、どうしたの?」

「ううん、◯◯(孫のママ)からメールがあって、今度の日曜、子どもたちの面倒を見てくれないかって言うんだけど。あたしさ、日曜は仕事入ってて、面倒見るとすると、おとうさんだけなんだけど」

「……悪いけど、こっちでちょっと休みたいな」

「あ、そう。じゃあ、そういうふうに言っとく」

孫の世話を断ったのは今回が初めてだ。これまでは、どんなときでも頼まれれば孫の遊び相手になってきた。しかし、このところ立て続けに孫の世話をし、私も今日、伊豆へ来たばかりで、日曜に孫の世話のために藤沢に戻り、翌日また伊豆へなんてことをやっていたら体を休める暇がない。それで正直に「こっちで休みたい」とカミさんに言ったが、それをカミさんが孫のママにどう伝えたかは分からない。たぶん、伊豆で休みたいと言っていると、そのままストレートに伝えたと思うが、孫の面倒を見てやりたいのはやまやまだが、というニュアンスが含まれているのだと伝わったかどうか。孫の面倒を見るのはいい加減くたびれたと捉えたかもしれないな。まあ、そのとおりだからそれでもいいけど。

葛飾北斎の妻は初の内孫をあずかるが、どうにも思いどおりにならない。てこずった妻が工房にやってきて、仕事する横でくどくど愚痴りはじめると、北斎は下絵に顔を落としたままこう諌めた。『子供時分の分別が過ぎりゃ、嘘臭い顔の大人にならあ』。そして『おめぇは大抵、人を揉み過ぎるのよ。下手な按摩だ』と、孫に手を焼く妻を軽口たたいて揉みほぐす」(鷲田清一「折々のことば」より)

朝日新聞デジタル版の「天声人語」と「折々のことば」は毎日読むが、昨日(8/11)のコラムにたまたま孫の話が載っていたので引用した。

そうだな、こと孫に関して言えば私も「人を揉み過ぎ」ていたのかもしれない。こちらの思いどおりにさせようとして孫が言うことをきかないと怒鳴り散らしていた。叱るのは親の役目。爺の役目は、揉み過ぎないよう揉みほぐすのが肝要と捉えることにしよう。

写真は、福島土産の「ままどおる」。

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呑み友がしきりに奨めるので職場に一箱(12個入1,080円)買った。最近は福島の土産といえば「ままどおる」と言われるくらい人気の菓子らしい。実際、職場のスタッフに配ったら知っている人が数人いた。旅行中、土産売り場を覗いては「ままどおる」が置いてないかチェックしたが、回った名所のどこにも置いておらず、結局、手に入れたのは郡山駅ビルの土産店だった。私も他のスタッフと一緒に茶菓子として食べたが、私にはちと甘かった。これは女性用土産菓子ですね。(あ)

あやめ湯(18:34〜19:20)2→3人。

4,451歩。