いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

去年よりまた年老いて夏祭

写真は、「源氏あやめ祭」前日の提灯。

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昨日までぶら下げられた提灯の数がやけに少なく、盛り上がりに欠ける祭だなあと思っていたら、前日の今日になって提灯が繋ぎ足され明りも灯された。それでもまだどことなく寂しい感じが漂う。
「源氏あやめ祭」は、ここ古奈出身のあやめ御前を偲ぶ祭り。今年は第81回というから、祭りの歴史は結構古い。あやめ御前とはこの地から宮中に上がり、宮中一の美女とうたわれた女性のこと。後に源頼政の妻となり、頼政が平家との戦で討ち死にしてからはここへ戻ってきて尼として余生を送った人だという。ちなみに、私がよく行くあやめ湯の名も、これに由来する。
「先生、明日、お祭りがあるの知ってる?」と、外遊びでグランドに出るときに、2年の女の子が話しかけてきた。「知ってるよ。あやめ祭り、でしょ?」と私。「あたし、明日、そこで踊るの」と言う。「へええ、そうなの。見てみたいな」。
見てみたいと思ったのは、その子の踊る姿よりも、道に並ぶ露店も含めた祭り全体の様子である。伊豆で過ごすようになってから私はまだ一度も「源氏あやめ祭」を見たことがない。この祭りは毎年7月最初の土日に行われるのだが、土日はたいてい藤沢に戻っているので、それでまだ見る機会を得ないのである。
一度だけ、孫を伊豆に連れて来た日と祭りが重なった年があった。私はせっかくだからと孫を祭りに連れ出す気満々だったのだが、カミさんがなかなかうんと言わない。そんなところに孫を放り出したら大変なことになる、あれ買ってこれ買ってと言うに決まっている、あたしゃ嫌だよとカミさんは言ったものだ。その光景は私にも想像できたから、それもそうだなと祭り見物を諦めたのだった。
しかし、今年は土曜に仕事が入ったせいで、見ようと思えば見られる。今年を逃したら、来年はまた見られるかどうか分からない。目が見えなくなっているかもしれないし、それどころかこの世にいないかもしれない。そんなことは思いたくないけれど、そうならない保障はどこにもない。だから、すべからく見られるときに見るべし、なのです。
思えばこれまで、明日も生きているという前提で63年を過ごしてきた。しかし、これからは、明日死ぬかもしれないという前提で毎日を送らなければならない。いや、そうしなければいけない決まりは社会のどこにもないのだが、覚悟として、そういう気持ちだけは持っていたいと思う。
そう思うようになったのは、5年前の東日本大震災がきっかけだった。あのときは、ついさっきまで当たり前のようにあった日常が、一瞬にしてこの世から消えてしまうのだと思い知らされた。大事な人を津波に流され、こつこつ貯めた全財産を流され、全てを失くしたところから日常を立て直さなければいけなかった人たちの困難に比べれば、私の覚悟なんて高が知れている。でも私は、生きたくても生きられなかった人のために、一瞬にして全てを失くした人のために、何かをしたいと思った。そして考えた。私に何ができるだろう。
私がたどり着いた結論は、祈ること、だった。気持ちをいつもそこへ置くこと。そしてささやかな日常をかけがえのないものにすること。母は生前、毎日神棚にご飯を供えお祈りを欠かさなかった。「今日も無事でありますように」とでも祈っていたのだろうか。その母の祈りのように、今、私はご飯の代わりにブログを書いて供えていると言えばいいだろうか。だから、私にとってブログを書くことは「今日も無事でありますように」という祈りなのです。(あ)
タイムラプスは、5:18〜7:31伊豆長岡の空。
あやめ湯(19:34〜19:12)3→3人。

3,153歩。