いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

学び舎の濃き陰這うや蛇苺

写真は、放課後児童教室の奥に建つ物置小屋前のヘビイチゴ

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いつもの小学校校舎脇にバイクを駐めて、児童教室の玄関の方へ歩き出したら、物置小屋の前にヘビイチゴが赤い実を結んでいた。へええ、ヘビイチゴってこんなところにも生るんだと思って撮った一枚。
写真はいつもブログに載せるつもりで撮り、記事になりそうにない被写体は選ばない。併せて、撮った写真はタイトルに使う俳句のネタになる。撮ったそばから一句浮かぶというのが理想なのだが、これまでそうなったためしがない。それができるんだったら、疾うに森村誠一奨める「写真俳句」に投稿しているわい。俳句は一晩寝かせ、ブログを書く段階で歳時記を開きながらひねる。
ブログのタイトルに俳句を使い始めたのは去年の4月25日から。その最初のタイトルは「野の花のように吹かれて風光る」というもの。「野の花のように吹かれて」は、言うまでもなくドラマ「裸の大将」のテーマソング♪野に咲く花のように 風に吹かれて♪から導かれた五七だが、今読み返してみると、俳句のようで俳句になっていない。「風光る」という春の季語に無理矢理くっつけただけの言葉遊びで、ゆえに感動がちっとも伝わらない。何物にもとらわれない「裸」の心で花咲く野道を歩く自分をイメージしてみるが、それはあくまでイメージ像で実像ではない。やはり俳句は、見たままを言葉に写しとるところに眼目があると心得ねばならない。
とまれ、俳句をタイトルに据えて一年を越した。その間、撮った写真をiPhoneのカメラロールで確かめ、そこから俳句になってくれそうな写真を選び、それをタイトルにしてきた。一年以上そうしてきた。ぱっと俳句(もどき)ができることもあれば、30分経っても1時間経ってもできないこともある。写真をもとにした俳句だから、タイトルが記事の内容とまるで関係ないなんてことはしょっちゅうで、後で過去のブログの内容を確認しようにも、タイトルを見ただけでは分からないという一因にもなっている。
ブログを書く順番が、まず写真の説明から入り、次にその写真をもとに俳句を考え、その後でその日の記事を書くという具合だから、うかうかしたら写真の説明だけで1000字を超え、その日の記事を書けなくなることも間々ある。でも、それでいいと思っている。所詮ブログはそういう性質のものだし、今自分が思っていることを気軽に書くためのツールなわけだから。
そのとき、そう思った自分が確かにそこにいたという事実を刻むために、私は毎日ブロクを書いているのです。ただそれだけなのです。
また、去年の4月25日は、iPhoneに「花しらべ」というアプリをインストールした日でもある。それがきっかけで俳句をブログのタイトルに使う気になったと言ってもいい。「花しらべ」の実力のほどを確かめたくて、その日はインストールしてすぐに藤沢の自宅近くの野辺に出たものだ。そして、目にした野花をばしゃばしゃ撮り、そのうちの何枚かを花の名を添えてブログに載せた。その一枚目が奇しくもヘビイチゴの花だった。
藤沢で見たヘビイチゴの花は民家の北側の畦に咲いていた。それで野辺に見る草花だと思っていた。それが街中の小学校の敷地に赤い実を結んでいたので、あれ、こんなところにと思ったわけだった。(あ)

6.474歩。