いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

春浅やモナリザはまだ微笑まず

あやめ湯(18:22〜19:16)8→10人。今日のあやめ湯は大混雑。

番台のおじさんからロッカーの鍵を受け取ると、脱衣所に元郵便局長さんの姿が見えた。私の少し前に来ていたらしい。こんばんは、まだまだ寒いですねと声をかける。ほんと寒いねと応えて、元局長さんは脱衣を途中で止めたふうに、中途半端な恰好で桐の縁台に座ったままテレビを見ている。どうやら洗い場が空くのを待っているらしい。風呂場を見ると、米朝氏が湯舟の縁に腰掛けて、湯舟の人と何やら話していた。

洗い場が塞がっていたって構うものか、湯舟で温まって空くのを待てばよいと風呂場のガラス戸を開ける。今日は混んでますねと米朝氏に挨拶すると、それまで真ん中の洗い場を使っていた人がすっと立ち上がり、ほれ、ここ使いなと場を譲ってくれた。私の知らない人だけど、米朝氏とは顔見知りらしい。礼を言って風呂椅子に座って気づいた。本当は米朝氏も順番待ちしていたのではないか? しまったと思ったが、改めて米朝氏にどうぞと言うのも間が悪い。お先に申し訳ないがそのまま使わせてもらった。

奥側3つの洗い場は3人の若者グループが使っていた。そのグループが上がったところで米朝氏がケロリン桶を持って上座に移る。やはり米朝氏は洗い場の空くのを待っていたんだ。と、そこへ元局長さんがようやく入ってきた。

風呂場が4人になったところで、話題は中国人旅行客のマナーの悪さになる。トイレのスリッパを履いて風呂に来る、脱衣所に置いてあるタオルを根こそぎ持ち去るという話。あやめ湯の筋向かいの「あづまや」旅館のご主人が米朝氏の幼友達で、そのご主人が嘆いていたということだった。

いつものゆったりした時間が戻ってきたと思ったら、今度は6人の若者がどどっと入ってきた。その一人に米朝氏が唐突に、青森山田の野球部か? と訊く。ちょうどそのとき私は米朝氏から、青森山田がこの時期よく長岡に合宿に来て、練習が終わった後にあやめ湯に来るという話を聞いたばかりだった。

入って来た若者たちは東海大学海洋学部と名乗った。ダイビングの実習でこっちに来てその帰りだという。では、そろそろ若者に譲って我々はずらかりますかと独り言のように言って米朝氏と二人して風呂場から上がる。上がるとロッカーの一つが鍵のささったまま開いていて、財布や携帯電話などが置いてある。すかさず米朝氏が風呂場の若衆に声をかける。(財布の中身など見ていないのに)長岡に来るときはもちっと財布に入れて来なきゃしょうがねえら。米朝氏、すてき過ぎます。ほんと、おもしろい。

写真は、砂絵で描いた「モナリザ」。えっ、どこが? という拙さだけど、これでも描くのに1時間もかかったんですよ。あの微笑の模写は私には到底無理。(あ)

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1,737歩。