いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

いつか来た道下駄の道鰯雲

9,477歩。

昨日の午後から降り出した雨は今朝になっても止まなかった。今日は燃えるゴミの収集日。風邪気味だったが、溜まったゴミを捨てに下駄を履いて外に出る。

下駄は二足ある。先日、藤沢のマンションの押し入れの奥から出てきた。大きさは二足とも同じ、鼻緒の黒も同じ駒下駄。いつ、どこで手に入れたものか、しかもなぜ二足なのか、まるで覚えていない。この前、孫を伊豆に連れて来るときに他の荷物と一緒に運んだ。

歯は二足とも外側がやや擦り減っている。一目でガニ股であることがわかる。二足を代わり番こに履いていたのだろうか。歩き方の特徴が分かるくらいに。それもよく覚えていない。

下駄が入っていた袋には赤い色で「1-7」とマジックで書いてある。これには記憶がある。「1-7」とは茅ヶ崎の学校で担任をしていたときのクラス名だ。市販の下足袋をクラスの貴重品入れとして使っていた。今から30年前の話である。

当時は平塚のアパートに住んでいた。アパートの玄関は畳半分くらいの広さしかなく、そこに下駄を脱ぎ置くスペースはなかったはず。だから、そのとき既に下駄は押し入れの奥に仕舞われていて、その後平塚から藤沢に引っ越して来るときに赤い下足袋に収まったのだと思う。

下駄を履いていたのは平塚時代よりもっと前だ。それより前ならば横須賀にいた頃か。いや違う。東京の世田谷に下宿していた学生時代? 蛮カラ学生を気取っていた? 学生時代はサッカーに明け暮れていたし、第一、大学構内は下駄でカランコロン歩くのは禁止されていたから、体連幹事をしていた一年間だって下駄なんか履くはずもない。では、いつ履いていたのだろう。

と、どんどん過去に遡っても、一向に下駄を履いている姿にたどり着かない。いちばん可能性があるのは高校三年の夏から卒業までの半年間ということになるが、それとて半分は雪に埋もれるわけだし、となるとやはり夏のねぶた祭あたりなのか。あの短い夏にガニ股に擦り減るくらい歩いたのだろうか。しかもなぜ二足? でも、どう考えても下駄を履いたのはその時期しかないんだなあ。なのに、ねぶた祭のガガシコや鈴の音の記憶は鮮明でも、下駄の音がまるで蘇ってこないのです。(あ)

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