いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

休暇明け気の乗らぬ身の忌ま忌まし

江戸時代の戯作者式亭三馬は「浮世風呂大意」の冒頭で「熟(つらつら)監(かんがみ)るに銭湯ほど捷径(ちかみち)の教諭(をしへ)なるはなし」と述べている。せっかく共同湯に通っていることでもあるし、私も一つ三馬にあやかって、行きつけの湯屋で見聞きした「捷径の教諭」の現代版を記しておく気になった。それでしばらく前から、主にあやめ湯を舞台にした人間模様を思いつくまま書いている。

書いているのはもちろんそこに現在進行形の興味関心があるからで、それを私は楽しみながら書いている。いつか興味がなくなるときがきたらたぶん書かないし書けない。興味関心の方向が変わってきたら書く内容も(内容なんてのがあればの話だが)自然にそちらへシフトすることになるだろうが、今のところは湯屋の与太話に耳を傾けるのが滅法楽しいので、そうしているまでのことです。

それにしても、あやめ湯に通う皆さんは(私も含めて)、家に風呂があるだろうにわざわざ300円払ってあやめ湯に来る。300円で温泉に入れるというのもあるかもしれないが、私がそうであるように、もしかしたらみんなどこかで繋がっていたいという思いがあるのではないだろうか。

私は湯屋をあやめ湯一つに絞る前は、周辺のいろんな湯屋を転々と渡り歩いていた。転々とする中で徐々に私の好みが絞られてきて、最終的にあやめ湯に落ち着いたのだが、その最も大きな要因はあやめ湯に通う人たちの人情だった。特にマイ桶氏。あの人と出会えたことが大きかった。あの人と親しげに話している人(私のこと)は誰だろうと周囲の人も思い始め、そこから私の顔も多少覚えてもらえるようになったのだと思う。あやめ湯の皆さん、どうかこれからもよろしくお願いします。

あやめ湯(17:21)1.5→2人。この前一緒になった父子と今日も一緒になった。風呂場にはその父子と私だけ。私が湯舟に浸かっていたらお父さんが子どもを抱きかかえて隣に入ってきた。子どもは必死になってお父さんにしがみついている。僕、お湯に入れて偉いねえと声をかけたら、この子、お湯に入るの今日が初めてなんです、とお父さん。何と、生まれて初めて湯舟に浸かった子に立ち会ったわけだ。お国はどちらですかと訊いたらインドだと言う。今話している言葉はタミル語ですかとさらに訊いてみたら、タミル語ではなくカンナダ語だという。インドの地方の言語は日本の方言の比ではない、同じインド人でもまるでわからないと言っていた。その後、話は自動車のことになったが、日本の自動車の事情に詳しいのにはびっくり。子どもが帰りたがっていたので話を途中で切り上げたが、おそらく日本の自動車関連の仕事をしている方と見た。続きの話をまた聞きたいな。

7,934歩。

写真は、田京駅前の駐輪場。自転車の盗難に遭ってから、ここを通るたびに自分の自転車が乗り捨てられていないかと注意してみたりするが、今のところ戻って来てはいない。よしんば戻ってきたとしても、恐らく無残な姿に変わり果てて、手前の放置自転車の列に加わっているのだろう。忌ま忌ましいかぎりである。(あ)

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