いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

地の幸は譬へば気まぐれ茄子の籠(あ)

昨日、小田原で孫の世話をした後、夜、カミさんの運転で伊豆に戻ってきた。

私の立場から言えば「戻ってきた」だが、カミさんの感覚だと「伊豆へ来た」となる。私はすでに伊豆の人だが、カミさんは住所を伊豆に登録してもまだまだその気になれないといった感じです。

この感覚の違いは、互いに住んでいるところが別々なんだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、私は、こうして距離を置いて暮らすのも悪くない気がしている。毎日絵を描き、碁を打ち、温泉に浸かっていると、一人暮らしなんてちっとも寂しく感じない。むしろ一人暮らしの方が好きなときに好きなことができるから気楽でいい、てなもんです。

でも、今の一人暮らし満喫期間も残すところ後8ヶ月。来年4月からカミさんも伊豆で暮らすとなると、さてどんな具合になるのやら。少なくとも今の楽しい趣味の時間を潰すことのないようにしてもらいたいものです。

昔、「亭主元気で留守がいい」というCMが流行したことがあったが(1986年の流行語大賞銅賞、へええあれから31年も経つのか)、あれは今も耳に残る強烈なフレーズだった。個人的には名誉金賞にしてもいいくらい。ちなみにこの年の金賞は「新人類」。

あのフレーズは妻から見た理想の亭主像を見事に言い得たものだが、ようやくリタイアにたどり着いた定年亭主の立場から捉えれば、亭主もまた一人の時間を欲しいと思うものである。

一緒に生活していても、それぞれがそれぞれの好きな時間を持てれば、それがいちばんいいのかなという気がする。朝から晩まで顔を付き合わせることで互いにイライラを募らせるのならば、ある程度距離をおけばいい。無理して一緒にいることもない。所詮夫婦とはその程度の関係だと分別している。


【写真】水汲み場の「気まぐれサービス」。

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大仁地区の水道水が実は湧き水を利用しているのだと知って、それならわざわざ湯ヶ島まで水を汲みに行かなくてもいいやと思っていた。ところがカミさんに、「そろそろ(湯ヶ島の)水、ないんじゃない? 汲みに行かなくていいの?」と言われ、これこれこうで、もう行かなくてもよくなったんだと言おうと思ったが、せっかくカミさんが行く気になっているので汲みに行くことにした。

家を午後2時半過ぎに出て、湯ヶ島の水汲み場へ着いたのが3時過ぎ。車で約30分。修善寺の有料道路のガードを潜った辺りから上り車線の渋滞が目立って来た。南伊豆や西伊豆で行楽した帰りの車のようだ。修善寺で3時なら箱根を下った出口では5時くらいになるか。それからさらに横浜へ1時間、東京へ2時間、ずっとラッシュの中を走るんだね、ご苦労さん、とすっかり地元目線になっている。

水汲みの帰りは渋滞を避けて、狩野川の対岸の道を修善寺駅へ走った。これががら空きで正解。

ここでの水汲みの楽しみの一つに「気まぐれサービス」がある。地の農家の人がとれたて野菜を無料サービスしてくれるのだ。今日の野菜はナス。まるまる肥えたナスが袋に3本入り、日焼けしないように丁寧にタオルをかけてある。カミさんは、「今晩はこれでナスの天ぷらにしようかしら」とご満悦。もちろん私も諸手を挙げて賛成。

ところが、家に着いたら、天ぷらを揚げるのが面倒くさい(カミさんは油を大量に必要とするとかで、電気フライヤーを使おうとしない)と言い出し、結局、メニューはナス味噌に変更となった。でも、それはそれでナス味噌は私の好物だし結果オーライ。美味、ごちそうさまでした。


【タイムラプス】7月23日(日)5:39〜8:05の伊豆長岡の空。36秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10213771737189836/


【歩数】1,878歩。