いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

夕東風に早く来よとや湯屋の人

午前中に大場の病院に行くつもりだったが、絵を描いていたら時間がなくなった。明日は仕事が休みだから、午後に病院に行くことにする。(あ)

【写真】孫娘が作ったがちゃがちゃ。手前の取っ手を回すと、中のダンボールが斜めに傾き、「すみっコぐらし」のぬいぐるみが下の穴から出てくる仕組み。

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先日の日曜、孫娘が「すみっコぐらし」のがちゃがちゃを作るんだと言い出した。引っ越しの荷物でわやな部屋にダンボールが積まれてあるのを見てひらめいたらしい。がちゃがちゃを作りたい→ダンボールはないか、ではなく、ダンボールがある→そうだ、がちゃがちゃを作ろう、という発想である。
これまではお兄ちゃんの主導で二人してダンボールで秘密基地を作っていたが、お兄ちゃんがゲームに夢中で相手をしなくなったので、妹の方は一人遊びをすることが多くなってきた。
学校の工作では、◯◯を使って◯◯を作ろうといった、ある程度決められたテーマで取り組むことが多いが、それとは別に、見つけた材料を使って遊ぼうとする頭が子どもにはあって、大人はそういうところを見守ってやるのが大事なんだなと思うことがある。「よくできました」もいいけど、「よく考えました」という観点をもっと大事にしたい。

【淡彩画】晩秋のカラマツ林(No.30)

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ポイントは「日差しの方向を確かめながら描き、根元にも伸びる影を描くことで立ち並ぶ木々の奥行きを出すこと」。
前回の反省を活かして、幹の輪郭を強調しすぎないように意識した。
下草の模様がやや単調だったか。

【あやめ湯】18:33〜19:12(3→4人)。
今日も入浴券を出す引き戸は半開きだった。こんばんは、と言って自販機で券を買おうとすると、声の主を確かめるといったふうにして、マイ桶氏がガラス戸の向こうにぬっと顔を現した。そして、顔の前で拝みポーズの右手を左右に振り、そのまま中へ入れと手招きをする。入浴券を買わなくていいからという合図らしい。
お気持ちはありがたいが、そういうわけにもいかないからと、こっちも無言でお断りする。向こうが無言ならこっちも無言。無言なのはもちろん、他のお客さんに知られないための阿吽の配慮である。
私のことをそんなふうに特別扱いしてくれるのは、正直とても嬉しい。マイ桶氏と知り合った最初の頃は、伊豆長岡の古き良き時代の話を聞くのが実に楽しかった。そうしているうちにいつの間にかマイ桶氏を中心とした輪の中に溶け込み、いろんな人に話しかけ、話しかけられるようになった。今ではいろんな人から話を聞くだけでなく、私の方から、家の様子、職場の様子などを話すようになり、益ます親しみが深まっている。
こうしてみると、人生は偶然の連なりだなあとつくづく思う。伊豆に住むようになったのも偶然なら、あやめ湯の存在を知ったのも偶然である。もし6年前のあの時、あの東日本だ震災がなければ阿武隈に住むようになっていたかもしれない。そこでいろんな人と出会い、囲炉裏を囲んで酒を酌み交わす友が新たにできたかもしれない。あるいは、故郷の青森に戻って、旧友と昔話をしながら酔いしれていたかもしれない。
しかし、そうはならなかった。伊豆に住むことになった。伊豆を終の住処と決めて4月から完全移住する。移住となれば、地域の自治会に顔を出す機会も増えてくるだろう。役員が回ってくるかもしれない。するとまた、そこでも新たな輪ができよう。
今後、どんな偶然が待っているか分からないが、どんな偶然であれ、それを丸ごと受け止めて日々淡々と過ごしていけたらいいと今は思っている。

【タイムラプス】2月28日(火)6:19〜8:37の伊豆長岡の空。34秒。

【歩数】2.837歩。