いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

自転車の道青々と春深し

写真は、茅ヶ崎の鉄砲道の車道に設けられた自転車専用レーン。なぜか一字一字すべての文字に白いテープが貼られてある。あれは何を示すテープだったのだろう。これは正式のものではありませんので、まだ走ってはいけませんというつもりなのだろうか。だったらコーンを立てれば済むこと。どうにも不可解な謎のテープです。

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そして別の箇所には「自転車は車道が原則」という標識板も見える。昨年6月の道路交通法改正に伴い、自転車は原則として車道を走ることになった。それでこうして立派な専用レーンも設けられたはずだが、にもかかわらず、ほとんどの自転車は旧来のまま平気で歩道を走っている。せっかくの改正法もこれではザル法である。

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茅ヶ崎の歯医者から辻堂へ帰るときはいつもこの道を通る。二ヶ月前にも通ったが、そのときはこのような自転車専用レーンはなかった。帰り道の途中に交番があって、その前に立っていた若いお巡りさんが「こんにちは」と私に声をかけてくれたとき、一瞬訊こうと思ったんだよなあ。あのテープは何のために貼ってあるんですか? でも訊かなかった。さあ、分かりませんという答えが返ってくるに決まっていると思ったからだが、何十メートルか歩いてから、やはり訊いておくべきだったと悔やんだ。もしかしたら専門的な納得の答えを聞けたかもしれないのに…。もったいないとは思ったが、そのためにわざわざ踵(きびす)を返すこともあるまいとそのまま辻堂に向かったことだった。
この鉄砲道は国道1号線と海岸の国道134号線とに挟まれた真ん中を並行して走り、茅ヶ崎市南湖から藤沢市辻堂に抜ける。この界隈はかつて九代目市川団十郎をはじめとする著名人の別荘があった閑静な住宅地で、沿道の両側には湘南風のお洒落な店が立ち並びぶ人気の居住エリアである。この道と交差するラチエン通りを海側に5分ほど歩いたところに開高健記念館があって、さらに歩いて海岸の134号線にぶつかったところが、サザンの歌で知られたかつてのパシフィックホテルが建っていた場所である。
鉄砲道というのは、江戸中期に辻堂に設けられた幕府の砲術調練場(鉄砲場)まで大砲を運び、鉄砲隊の武士が繁く往来した道だから、いつの頃からか鉄砲道と呼ばれるようになったという。また、伊豆の韮山反射炉で造られた大砲が柳島湊で陸に揚げられ、この道を通って鉄砲場に運ばれたとの説もあるようだが、こちらは史料のどこにも記されていないということで、どうやら嘘っぽい。
今でこそ鉄砲道は南湖から柳島海岸へ突き抜け、車の通れる立派な道になっているが、昔の道は自転車がやっとすれ違うくらいの幅しかなかった。少なくとも私が平塚のアパートから茅ヶ崎の職場まで自転車で行き来していた頃までそうだった。そんな道を通って大砲が運ばれたとはゆめゆめ思えないのである。(あ)
7,068歩。