【書】『おくのほそ道』68(平泉2)(No.1,926)
「三代の栄耀一睡のの中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷ふせぐとみえたり。」
(訳:藤原氏三代の栄華も、長い歴史から見れば、邯鄲の一睡の夢のようなはかないもので、平泉一円はいまは廃墟と化しているが、平泉館の大門の跡は、一里ほどの手前にある。秀衡の館の後は田野になり、庭の築山にあたる金鶏山だけが昔の形を残している。まず、義経の居館であった高館に登ると、北上川が眼前に流れていて、この川は南部地方から流れてくる大河である。衣川は、和泉が城のまわりを流れて、この高館の下で北上川に流れこんでいる。泰衡ら藤原一族の旧跡は、西方一丁あまりの衣が関を隔てた向こうにあり、南部口を抑えて蝦夷の侵入を防ぐためのようにみえる。)
「邯鄲の一睡の夢」とは、どういう意味か。
中国・唐の時代に盧生(ろせい)という貧乏な書生がいた。その盧生が趙の都・邯鄲で、道士・呂翁と会い、呂翁が懐中していた枕を借りて、茶店でうたた寝をした。すると、自分がたくさんのお金と地位を得て一生を終える夢を見た。夢から覚めると、自分が眠る前に頼んでおいた黄梁の粥がまだできていなかった。
このことから盧生は、人生のはかなさをを知った。これは、人の世の栄枯盛衰のはかないことをたとえるのに使う故事成語。
この故事成語のあらすじはいろいろあるようだ。が、栄枯盛衰のはかなさをいうのは同じ。
平家物語を持ち出すまでもなく、栄えるものは必ず衰える。これ世の常。例外なく、そのうち私もこの世から消える。
問題は、その消え方だ。どうやって消えようか。
できれば、好きなことをやって、知らないうちに灯が消えていた、とならないか。
それがいちばんありがたい消え方だと思うのだが……。所詮はかない夢だろうか。
【昭和の風景】津軽弁(No.626)
絵手紙。「その えんぺつこ ちょへば まいね。」
「その 鉛筆 触ったら だめだよ。」の意。
鉛筆画は、写真みたいなリアルな描画ができる。が、私にはどうしても馴染めない。きっと、好みの問題でしょうね。
【タイムラプス】令和6年10月12日(土)10:18〜12:02の伊豆長岡の空。25秒。
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