宮部みゆき著『氏子冥利』の模写終了。文芸誌の表紙には「一挙140枚」とあるが、Macアプリ「縦式」の弾いた字数によると4万8137字。
次にどういう表現を持ってくるかを想像しながら取り組んだので、結構楽しかったし勉強にもなった。なるほどそうくるかと思うこともしばしば。
それにしても、アプリ「縦式」って、使えば使うほど優れたアプリだと感心する。使ってストレスを感じない。
印刷することを考えなくていいから、頭に浮かんだことをそのままインプットできる。
箇条書きとかの役所的文書には向かないが、文学的文章ならお手のものだ。自分の好みの言い回しも簡単に書ける。それがいい。こんな神アプリを無償で提供してくれる太っ腹さんに、いくら感謝しても感謝しきれない。
文芸誌に載る作品は連載物が多い。だから、月毎に定期的に模写することが気楽にできる。また、最終回を迎えて一つの作品に仕上がる過程を追体験もできる。
パソコンが広く普及した今だからこそ楽しめる楽しみ方だと思う。
書くというのは孤独な作業だ。しかし、麻雀のように四人揃わなければできないというものでもない。一人でもできる。一人で思考をめぐらし一人で自分の世界に酔いしれることができる。パソコンさえあればそれができる。これ以上の一人遊びはないと思う。
これからは文芸誌を手にする楽しみが増えた。そこに載っている作品を模写することによって、書いた人の感じ方考え方言葉尻表現方法を盗み取ることができる。なんて素晴らしいんだ。快哉快哉。
【きょうの一枚】庭のプラム(李)。
庭にプラムの実が落ちていた。ああ、もったいないと思って上を仰いだら、まだ枝に実がいくつかぶら下がっていた。
いつ来るか判らない孫娘を待っていたら、全部落ちちゃうな。今のうちに採って食っちゃうか。
【書】「虞淵」グエン(No.1,449)
「古代、太陽が没するところと考えられていた場所。」(『旺文社漢字典第2版』)
「虞」は、虍(とら)と、音を表す呉(ゴ。グは変化した音)とで、虎に似た獣の意を表す。借りて、「おそれる」意に用いる。
「淵」は、〓(エン。淵から氵を取り除いた形。水が渦巻いている深いふちのさま)に氵(水)を加えて、「ふち」の意を表す。
【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 九(No.889)
敬太郎が再び田口(須永の叔父=従妹の父)宅を訪れた時、自動車を乗り付けた先客があって面談は叶わなかった。
漱石は自動車の運転手を「御者」呼ばわりしている。「御者」とは無論、馬車を操作する人のことを指すが、当時は一般的に自動車の運転手も御者と言ったのだろうか。
全集注解には、「明治四十四年十月八日ごろ、東京にて自動車を所有する者は、百五十余人にて」とある。
【昭和の風景】169
「鬼」を描くのを一時中断して、古い昔話の「カチカチ山」画像に色をつけてみることにします。「大人の塗り絵」ですね。
それでしばらく楽しみたいと思います。
【タイムラプス】6/6(火)6:14〜9:18の伊豆長岡の空。22秒。
富士山の東側に「吊るし雲」が発生しています。ということは、天気は下り坂ですね。