【きょうの一枚】ほとばしる雨水。
夕方になって、風雨が大型台風並みに強くなった。
雨水が川のように流れ落ちる坂道を降りながら踏切脇のコンビニに行く。晩酌の酒とつまみを切らしたのだ。
コンビニの店員さんってこんな大嵐でも出勤して、私のように食料を求めて駆け込む客に愛想を振りまかないといけない。人には言えないご苦労も多々あるんでしょうね。
コンビニの帰り、大雨の坂道を上り出したら、民家の雨樋からバズーカ砲のように勢いよく雨水が流れ出ていた。もともと道に突き出るようにこしらえた雨樋らしい。こんなことをプロの業者がやるわけがない。たぶん家の持ち主が手仕事でにわかこしらえしたのだろう。自分さえよければ人はどうなろうと知ったこっちゃないという発想だ。迷惑この上ないが、田舎の暮らしにはこういうことが多々ある。そういうことを考慮した上で近所付き合いをしなくちゃいけない。
田舎暮らしも楽じゃない。いや田舎じゃなくても町中でも、近所付き合いはいろんなしがらみが絡まりあって成り立っている。
【書】「郷土」キョウド(No.1,445)
「①ふるさと。生まれ育った地。②地方。」(『旺文社漢字典第2版』)
「郷」は、卿(ケイ・キョウ。食物を前に二人の人が向かい合って食べているさまで、饗の原字。ひいて、公卿・郷党の意に用いる)が変化して、卿(公卿)と区別し、「さと」の意に用いる。
「土」は、土地の神を祭るために盛り上げた土柱の形にかたどり、もと、土地の神の意、ひいて「つち」の意を表す。
「土」の字を書くたびに榊莫山先生を思い出す。巨漢でありながら書く字は繊細でした。
その莫山先生がある日、テレビのドキュメンタリー番組に出て「土」の字を書いた。何度も書いた。何度も書いて納得のいく字を書けなかった。その苛立ちが伝わってきそうな映像でした。
あれから数十年、私も何度も「土」を書く機会があったけど、納得のいく字をまだ一度も書けてない。書くたびに覚える苛立ちは莫山先生の当時の苛立ちと通うところがあるだろうか。
【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 五(No.885)
「歌舞伎を当世に崩して往来へ流した匂のする町内」とあるが、要するに、歌舞伎に出てくるような下町情緒あふれる町内、という程度の意味なんでしょう。これは、下町情緒を背負い込んだ無鉄砲な「坊ちゃん」に通じるところがありますねえ。
【昭和の風景】165
再び鬼の登場。
どんなに笑みをたたえても、やっぱり鬼は怖い。
鬼は、怖くなければ鬼ではない。
自分の意志ではどうにもならないことがこの世にまだたくさんある。そのひとつが鬼。
若い頃はそんなことは露も考えなかった。真っ暗闇の向こうには明るい明日が必ずあると信じていた。自分のやりたいことをやるのが若者の特権だと思っていた。
でも思う。真っ暗闇の向こうはやっぱり真っ暗闇だってことを。そこには鬼がいる。暗闇の中に鬼が大きな口を裂いて立っている。
そう思うようになったのは、もうすぐこの世とおさらばする歳になったからだろうか。
【タイムラプス】6/2(金)7:27〜10:17の韮山方面の雨空。21秒。