いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

廃材と丸太ずしりと春が来た(あ)

【今日の一枚】廃材と丸太。

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 教え子が廃材を運んでやると言ってきた。ありがたいねえ、私が薪の調達に苦労しているのを覚えてくれてたんだ。
 きょう(2/5)、仕事を終えたら廃材を積んで届けてやるという。暗くなったら作業もしづらかろう、もし暗くなるようだったらまたの日にしようと気を遣ってメールを送っておいた。
 そのメールを見たかどうかは判らない。でも、たぶん見てない。だからやってきた。やってきたのは午後6時ちょっと前で、あたりはすでに夕闇に包まれていた。
 軽トラの荷台を見たら、丸太がゴロリ積まれてあって、廃材はその下に埋もれていた。あれっ、廃材だけじゃなかったっけ?
 立派な丸太だ。が、荷台からおろすのに抱えたら腕にずしりと重い。重量から推して、これは乾燥がまだ完璧じゃないと読んだ。以前、生乾きの薪を強引に燃やして煙突を煤だらけにした苦い経験を持つ。だから多少慎重になるのも止むを得ない。生乾きの薪を燃やした後の煙突掃除はともかく大変。だから一年積んどいて、来シーズン使うことにする。
 でも、ありがとな。助かったよ。


【書】「麦奴」バクド(No.1,328)

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 「黒穂病にかかって穂が黒くかびた麦。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「麦」は、くだる意を表す、下向きの足の形と、音を表す來(ライ。バクは同じ源から変化した音。くだる意)とで、もと、くだってくる意、ひいて、くる意を表す。もと、來が「むぎ」の象形で原字であったが、のちに誤用されて、逆に來を「くる」、麥を「むぎ」のいに用いるようになった。
 「奴」は、仕事をする意を表す又(手)と女(ジョ。ドは変化した音。おんなの意)とで、労働に従事する女どれいの意を表す。のち広く、しもべの意に用いる。


【ディジタル画】『門』 二の一(No.768)

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 「宗助は兎も角もと思つて電車に乗つた」。
 「……頭の上には広告が一面に枠に嵌めて掛けてあつた」
 その広告の中に「瓦斯竈」というのがあった。
 全集注解によると、「鍔釜をかけられるように作った鋳鉄製の筒の下部にガスの火口を仕込んだもの。……(以下省略)」とある。
 こういう説明は長ったらしくて頭にすんなり入って来ない。こういうのは図に限る。「百聞は一見にしかず」だ。図の効用はそこにある。
 でも、画を描くとなると、ガスの火口はどうなっているんだろうと、どうでもいいようなところに気を回したりするんですよね。

 それって、画を好んで描く人の性(さが)かな。


【昭和の風景】51

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 雪が降った日の、ある都内の保育園。
 子ども時代を雪国で過ごした私は、冬を半袖短パンで過ごす都会の子が不思議でならなかった。どうしてあんな薄着で冬を過ごせるのだろう。
 今は目も馴染んでそんな風景も当たり前のように受け止められる。でも、半袖短パンは見るからに寒い。見ると身震いする。子どもと老人とでは所詮肌の作りが違うのだろうか。


【タイムラプス】2月5日(木)13:03〜15:10の伊豆長岡の空。31秒。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0eH8Qxr9VAUgTfrpWgHxq2w7H2jiPhiUWPseVDUZQDPGzC3qiceQG3Y8Teq1KqUMTl&id=100001436582002
 朝から駅伝大会の準備でワサワサしていて、撮影は昼に延期。
 どうせならと冬夕焼けに照らされた富士を狙おうとしたが、また撮りそびれるといけないと思って、駅伝大会から家に戻ってすぐに撮影した。撮り終えたらカミさんから、今伊豆に向かっている途中というメッセージがケータイに入っているのに気づいた。結果的に夕方にタイムラプス撮影をしなくてよかったということだな。


【新型コロナ】2/5(木)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→32,138(前週同曜日比 −12,160)
累計感染者数→32,766,938
死亡者数→69,621(前日比 +109)
<静岡県>
新規感染者数→1,558(前週同曜日比 −408)