いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

負傷せる蟷螂道で見栄を切る(あ)

【今日の一枚】家の前の道を這うカマキリ。

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 庭の落ち葉を入れたゴミ袋がいっぱいになったので車庫へ持って行こうとした。そうしたら、車道にカマキリがいた。どこの草むらから出てきたのだろう。そんなところにいたら車に轢かれちゃうよ。
 よく見ると、右後ろ足の先っちょがない。どうしたんだ? 誰かにやられたのか? ちょっと待って、家からカメラ持ってくるから。
 家からケータイを持って道に出たら、カマキリはまだ同じ場所にいた。どうしようというのだろう。道を横切ろうとしているのだろうか。不自由な足を引き摺って。
 そんなの撮ってもしょうがないと思いながら、でも撮った。
 なんで撮ったんだろう。ブログにアップするためか。それは確かにある。でも、本当の理由はもっと別のところにあるような気がする。
 不自由な足を引き摺りながら、それでも懸命に生きようとしている姿に心動かされたからか。それを記録に留め置こうと思わずシャッターを切ったのだろうか。
 そうだろうか。それだったらわざわざ写真に収めなくても、心に留め置けば済むことではないか。写真に残しておく必要はない。
 いや、ある。写真に残すことによって、そのとき思ったこと感じたこと考えたことがたちどころに思い返される。
 思ったことは記録しておかないと時が経つにつれて薄らいでいくものだ。それは過去のブログを見返すとき、とみにそう思う。へええ、そんなことを思ってたんだと自分でも意外に思うことが写真とともに書き残っていて赤面する。
 でも私はそのとき思ったことをブログに書き留める。写真に撮る。読んでくれる人からすれば、どうでもいいような私的なことでも私にとってはどれもどれもかけがえのない生きた証なのである。


【書】「純直」じゅんちょく(No.1,223)

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 「心にまじりけがなく正直なこと。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「純」は、糸と、音を表す屯(とん。「しゅん」は変化した音。あつい意→醇)とで、もと、絹織物のふちの厚いふさの意を表す。借りて、まじりけがない意に用いる。
 「直」は、もと、目に縦の線(十は変化した形)を加え、まっすぐ見る意、ひいて「なおい」意。のち、更にまがるの意の形を加え、曲がっているものをまっすぐに正す意を表す。


【ディジタル画】『それから』 二の五(No.663)

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 平岡が東京に戻ってきた経緯を聞いた代助は、平岡が語った以外にもまだ何かあるに違いないと勘繰る。が、まだ今の段階ではそれが明らかにされない。
 途切れ途切れに話をしながら歩いて両人は電車通りに出る。すると突然平岡は電車に乗って帰ると言い出す。代助は留めない。留めないで「三千代さんは何うした」と聞く。いよいよ三千代さんの登場である。


【タイムラプス】10月23日(日)5:59〜9:49の伊豆長岡の空。28秒。

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【新型コロナ】10/23(日)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→30,816(前週同曜日比 +1,410)
累計感染者数→22,017,903
死亡者数→46,320(前日比 +37)
<静岡県>
新規感染者数→730(前週同曜日比 −102)