いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

マスクして乗合タクシー乗るひとり(あ)

 乗合タクシーの予約を取り、最寄り駅で降りた。その足でいつもの床屋へ向かった。
 床屋には客が誰もいなかった。すぐに奥から岸惠子似のお母さんが出てきて、バーバーチェアに促される。
 話は「きょうは雨ですね」から始まって、自ずと狩野川台風のことになった。狩野川台風のときの、ある消防団員一家の惨劇をお母さんが話してくれたことがずっと記憶に残っていて、いつか機会があったらそれをまとまった話に仕立てようと思っていた。
 その応募締切が9月末日だった。そして締切に間に合わずに応募しなかった。そのことを包み隠さずお母さんに話した。
 するとお母さんはとても残念がった。狩野川台風から50年の節目に発行した記念誌に、実は私寄稿したんですのと言い、その原稿を今も残してあるから散髪が終わったらそれをお見せしますと言ってくれた。
 散髪を終えて記念誌の原稿を待っていたら、お母さんが奥から出てきて申し訳なさそうに、探したんだけど見つからなくてと恐縮した。見つけたら連絡しますから連絡先を教えてくださいと言うので、それには及ばないまた今度来た時にでも見せてくださいと言って店を出た。


【今日の一枚】タクシー運転手がくれたマスク。

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 電話で乗合タクシーを頼んで床屋へ行く。
 運転手さんに「きょうは寒いですね」と言って、口元が寒いのに気がついた。しまった、マスクを忘れた。
 そうしたらタクシーの運転手さんは、「ちょっと待ってください。予備のマスクがあるかもしれない」と言って、運転手席横の小物入れボックスをガサゴソ探してマスクを取り出してくれた。「どうぞ、これをお使いください」。
 タクシーを降りたらスーパーに駆け込んでマスクを買うつもりでいたら、運転手さんが自分の予備のマスクをくれたので助かった。
 それをありがたく受け取り、そこに書かれてあるチラシを見たら、「8月5日はタクシーの日」だとある。
 知らなかった。なんで8月5日がタクシーの日なんだろう。袋からマスクを取り出しながら、なんで? の答えを考えたが判らずじまいだった。
 家に帰ってネットに当たったら、8月5日は我が国にタクシーが誕生した日(大正元年)であることが判った。なるほど、そういうことだったんですね。


【書】「庫門」こもん(No.1,206)

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 「①王宮の五門(=路門・応門・雉門・庫門・皐門)の一つ。雉門(=王城の南の門)の外にある。②倉庫の門。③諸侯の屋敷の外の門。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「庫」は、广(建物)と車とで、兵車を入れる建物の意、ひいて、広く「くら」の意を表す。
 「門」は、二本の柱の間で両開き左右二枚のとびら(戸)がしまっている形をかたどり、家の外囲いの出入口、「もん」「かど」の意を表す。


【ディジタル画】『坑夫』 88(No.646)

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 坑を出て長屋の半丁許手前に初さんが石へ腰掛けて「自分」を待っていた。「やあ出て来たな。よく路が分つたな」とはなんという言種。「自分」を案内しなければいけないのに途中でその任務を放棄して一人で勝手に坑から出てきたくせして。「親方が怖いものだから、途中で待ち合せて一緒に連れて帰らうと云ふ目算である」ということらしい。どこにもいるよね、こういうタイプの人。
 「自分は石へ腰を掛けて薄笑ひをしてゐる此の案内の頭の上へ唾液を吐きかけてやらうかと思つた」というくらいだから、よほど初さんに腹が立ったとみえる。
 それに反して、安さんの心遣いはどうだ。なかなか立派なもんだ。
 安さんは坑夫になったことを「堕落」と言った。堕落の底に死んで活きてるんだと言った。それほど堕落したと自覚していながら、生きて働いている。そのことに「自分」は感動を覚えた。「安さんが生きてる以上は自分も死んではならない」と思った。


【タイムラプス】10月6日(木)6:36〜8:58の韮山方面の雨空。35秒。

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【新型コロナ】10/6(木)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→33,810(前週同曜日比 −8,557)
累計感染者数→21,486,908
死亡者数→45,349(前日比 +75)
<静岡県>
新規感染者数→1,000(前週同曜日比 −105)