いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

秋深き碁敵の手に土産など(あ)

【今日の一枚】伊豆のへそのストロベリーハウス。

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 3代前の区長さんが囲碁を嗜むというので、お手合わせをお願いしにご自宅へお邪魔した。
 手土産の一つも持っていかないと格好がつかないと思い、市役所本庁舎で用を済ませた帰りに「伊豆のへそ」に立ち寄った。そこのストロベリーハウスで「いちごの◯◯◯」とかいう洋菓子を買った。もちろん私は食ったことなどない。大抵手土産とはそう言うものだ。
 その前区長さんとは「環境美化の日」の朝に偶然お会いし、私が区の防災無線で「環境美化」中止の放送を流した(その日は雨だった)後にお邪魔したことがある。
 そのときは初顔合わせということもあり、互いの棋力が判らなったので互戦で打った。打ったが、あれよあれよという間に3子局になった。つまりは一勝もできなかった。
 それで迎えたきょう、3子局から打ち始めたが、これまたあれよあれよという間に負け続け、4子置いても負け続け、とうとう5子局にまで成り下がった。5子置かせてもらって、それでようやく数える碁になり一勝を得た。
 つまりは棋力の差はそれだけあったということだ。その人との対局は5子局がちょうどいい。
 そんな下手っぴい相手じゃつまらんだろうな。時計を見て「もう5時か」とつぶやいたのを潮にきょうの囲碁を打ち止めにした。私はまだまだやりたかったが、どうやら前区長さんは飽き飽きしていたようだった。


【書】「原宥」げんゆう(No.1,205)

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 「罪をゆるす。宥も、ゆるす意。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「原」は、厂(がけ)から泉のわきでるさまで、みなもとの意を表す。源の原字。借りて「はら」の意に用いる。
 「宥」は、宀(家)と、音を表す有(ゆう。かばう意→佑)とから成る。


【ディジタル画】『坑夫』 87(No.645)

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 安さんの案内で「自分」は坑の入口を出た。
 「ふらふら長屋迄帰つて来る。途中で色々考へた。あの安さんと云ふ男が、順当に社会の中で伸びて行つたら、今頃は何に成つてゐるか知らないが、どうしたつて坑夫より出世してゐるに違ない」。「安さんが悪いんでなくて、社会が悪いのかも知れない」。「安さんは人間から殺されて、仕方なしに此処で生きてゐるんである。帰らうたつて、帰る所はない」。
 人は、ひょんなことからひょんな職業に就いて、ひょんな人と出会って結婚し子を育てる。子供が独立して身軽になったところで第二の人生を歩み、終の住処を得る。
 考えてみれば人間は、ひょんなことの連なりの中で懸命に生きている。それが人生なのかもしれない。69年前に青森で生まれた私が、今こうして伊豆に住み、この歳まで生きながらえていること自体、まったくのひょんな偶然なのだ。 


【タイムラプス】10月5日(水)6:53〜9:40の伊豆長岡の空。20秒。

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【新型コロナ】10/5(水)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→41,012(前週同曜日比 −8,527)
累計感染者数→21,453,098
死亡者数→45,274(前日比 +86)
<静岡県>
新規感染者数→1,303(前週同曜日比 +21)