いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

毬栗の棘ちくちくと番かな(あ)

【今日の一枚】毬栗。

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 一つ南隣の空き地に栗の木がある。手を伸ばせばすぐのところに毬栗が二対並んであった。それで反射的に撮ったのがきょうの写真。
 朝からの雨は午後になっても止む気配がない。図書館から借りて来てどうしてもきょう返さなければいけない本が手元にあったので、それを返すためにやむなく長靴を履いて図書館に向かった。
 そのときにこの栗を見つけた。この道は犬の散歩以外ほとんど人が通らないから、こうして手の届くところにも栗が残っていたのだろう。
 栗の木は坂の途中にもあるが、そちらの栗はあらかた片づけられていた。そこはブランコ公園の道路の向かい側にあって、ちょうど地元小中学生の通学路になっているということがあるのかもしれない。


【書】「恐慎(愼)」きょうしん(No.1,199)

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 「恐れつつしむ。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「恐」は、心と音を表す巩(きょう。むなさわぎがする意→匈)とで、「おそれる」意を表す。
 「慎(愼)」は、忄(心)と眞(しん。充実する意)とで、まんべんなく用心して「つつしむ」意。


【ディジタル画】『坑夫』 81(No.639)

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 待てど暮らせど下から上がってこない「自分」がやっと姿を見せた。どうしたんだと心配して声をかける初さん。少し気分が悪かったから段木の途中で休んでいたと「自分」は初さんに正直に告げる。
 「ふうん。ぢや明日は作業も出来めえ」と言う初さんにカチンときた「自分」は「糞でも食へと思つた」。
 ずいぶん品のない言い方だが、その次のセリフに「華厳の滝」が出てくる。
 「坑(あな)を出れば、すぐ華厳の滝迄行くんだと思つた。さうして立派に死ぬんだと思つた」。
 なぜ、華厳の滝で死ぬのが「立派」なのか。
 そこには、当時旧制一高生だった藤村操の存在がある。
 旧制一高生といえば、将来を嘱望されたエリートだ。そのエリートである藤村操が華厳の滝で投身自殺を図った。明治36年5月22日のことである。
 エリートの厭世的な自殺は当時の世間を驚かせ、彼の死後4年間、後へ続けとばかりに華厳の滝に飛び込む自殺者が185名(未遂を含む)もいたという。以来、華厳の滝は自殺の名所となった。
 一方、英国留学から帰国したばかりの漱石はこの年の4月、英語教員として旧制一高に赴任している。そこに藤村操が在籍していた。略歴によると、漱石はここで藤村を二度叱責したことになっている。それが自殺の直接の原因になったかどうかは定かではないが、この事件で漱石は相当なショックを受けたらしい。そのことが、この場面にも多少反映されているのではないだろうか。


【タイムラプス】9月29日(木)7:05〜9:05の韮山方面の雨空。30秒。

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【新型コロナ】9/29(木)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→42,181(前週同曜日比 −35,190)
累計感染者数→21.256,788
死亡者数→44,812(前日比 +112)
<静岡県>
新規感染者数→1,105(前週同曜日比 −1,390)