いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

稲刈を待つや田んぼの畔の草(あ)

【今日の一枚】城山。

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 大仁のシンボル的存在の山。「城山」と書いて「じょうやま」と読む。長嶋茂雄さんが現役時代に大仁で自主トレ合宿をはり、そのトレーニング場所の一つに選んだのがこの山だった。この登山道をランニングしたという。
 ごつごつした岩肌はまさに伊豆ジオパークそのもので、伊豆半島が出来たときのマグマが冷えて固まったものと言われる。標高は342mとそれほど高くない。てっぺんは狭く、見下ろすと真っ逆さまに落っこちそうな恐怖を覚える。スズメバチの巣もある。長嶋さんはこんなところをトレーニングコースに選んだ。ほんとかなあ。
 この切り立った岩壁は、今ではロッククライミングのうってつけの練習場所になっていて、首都圏からも多くの人が訪れる。ここでひと汗かいた後は、麓の一二三荘の日帰り温泉で筋肉をほぐすというのが定番らしい。かつて一二三荘に入り浸っていた頃、よくそれらしい格好をした人を見かけた。
 きょうここを訪れたのは、本当はこのごつごつした山を見るためではなく、狩野川沿いの公園にあるパネル写真を見るためだった。
 ところが、行ったらパネルを展示してあった施設は跡形もなく消え、代わりに蕎麦屋と貸自転車屋らしきプレハブが建っていた。
 この公園周辺は昭和33年の狩野川台風で甚大な被害を受けたところ。そのときの災害文書が地元の小学校職員有志で編まれ、そのうちの2冊が図書館の書架に収まっていた。
 それを借りてきて暇にあかせて読んでいたが、文学作品の応募締め切りが近づき、作品を執筆するに当たって当時の惨状をパネル写真でもう一度確かめてみたくなった。それでのこのこ出かけたのだったが、行ったら公園内にあったはずのパネル展示施設がことごとく無くなっていて焦った。
 肩透かしを食らった格好で、でもせっかく出てきたのだからと、大惨事に遭った地元小学校前をカブで通り抜け、城山の下に回ってみた。城山までの道沿いにはのどかな田園風景が広がり、ちょうど黄金の稲穂が首を垂れて稲刈りを待っているというふうだった。
 狩野川台風が襲ったのは昭和33年9月26日。あのときもこの辺りはきょうと同じような稲刈り前の田んぼが広がっていたのだろうか。


【書】「逆耳」ぎゃくじ・みみにさからう(No.1,197)

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 「耳にさからうようなききづらいこと。いさめのことばをいう。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「逆」は、辶と屰(げき。さかさまの意)とで、来る人と反対向きに進んで人を「むかえる」意を表す。借りて「さからう」意に用いる。
 「耳」は、外から見えるみみ(耳殻)の形にかたどる。借りて、助字に用いる。


【ディジタル画】『坑夫』 79(No.637)

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 坑内を案内されての帰り、段木の梯子の途中で動けなくなってしまった。
 そのときの心理を「自分」は次のように分析する。
 「一層の事、手を離しちまはうかしらん。逆さに落ちて頭から先へ砕ける方が、早く片が附いていゝ。とむらむらと死ぬ気が起つた。ーー梯子の下では、死んぢあ大変だと飛び起きたものが、梯子の途中へ来ると、急に太い短い無分別を起して、全く死ぬ気になつたのは、自分の生涯に於ける心理推移の現象のうちで、尤も記憶すべき事実である」。
 段木の途中で足が止まったのは、あすから強いられる苦しい生活がふと頭をよぎったからかもしれない。こんな劣悪な環境が待っているんだったら、いっそ死んだ方が楽になるんじゃないかと思案したのだろうか。
 でも、死んだら一巻の終わり。死ぬということは、この世の全てのものと縁を切って無に帰することなんだから。
 「無」か。苦しみもない代わりに楽しみもない。何もない世界って、どんな世界だろう。


【タイムラプス】9月27日(火)5:58〜8:45の伊豆長岡の空。20秒。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid02w1bzD3v1ufQ4MxJYXjodqLodVRyT9sBT3oW86Riq1kVWGqpW8WLWjEqaDE7ajmmsl&id=1298610339


【新型コロナ】9/27(火)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→43,587(前週同曜日比 +5,540)
重症者数→232(前日比 −7)
伊豆の国市陽性者数→9/27分の発表はなし。
 ※いつも参照していた県のHPには「発生届の限定化に伴い、県で把握できる感染者の情報が限定されるため、毎日の公表項目について、9月27日(火)から変更するとともに、週に1度公表する項目を新たに設けます」というコメントが載った。
 (注)文中の「1度」は「一度」と表記すべきです。「一度」という表記で、一つのまとまった意味を持つ語句になるのですから。横書きだからといって「一度」の「一」を安易に算用数字の「1」に置き換えてはいけません。