久々に「たて書きコラム」にアクセスした。
私が読み始めた頃とだいぶ様変わりしていて面食らったが、中には今なおご健在のコラムもあって興味が尽きなかかった。
その中でも福島民報コラムあぶくま抄「かすかな声」(8/15)が目に留まった。
「甲骨文字は漢字の最も古い形だ。目、口、牛、馬、木、雨など古代人はあらゆる物や事象を絵のように描き、文字として使っていた▼耳を意味する甲骨文字も人の耳のように見える。この文字を一部に用いて「取」や「職」など関係する字ができていく。……(中略)……国民を総動員した戦争は七十七年前のきょう、終わった。作家半藤一利さんは著作『昭和史』の中で戦争を避けるための教訓を五つ残した。真っ先に挙げたのは国民的熱狂をつくってはならないことだ。国全体で時の勢いに流されたのが、数々の悲劇を生んだ要因の一つと考えていた」。
コラムは、もちろん戦争が終わって七十七年経ったことを言うが、それを語るのに甲骨文字から半藤一利氏まで引き合いに出すところが、さすがプロだと唸らされる。
私もかつては甲骨文字を追いかけていた時期があった。今は金文を追いかけている。甲骨文字にせよ金文にせよ、古代文字には漢字の成り立ちが随所に垣間見えると感じ、まるで絵を描いているように字を書くというのがまた楽しい。書きながら、へええ、そんな意味だったのかと思うこともしばしばで、それがまた楽しさを倍増させているとも言える。ともかく、書いていて楽しい。
【今日の一枚】朝焼け。
ベッド部屋から見える東の空が真っ赤に染まっていたので、飛び起きてデッキに駆け上って撮った。
まだ暗い稜線の向こう方が熱海。
熱海は今、かつての賑やかさを取り戻しつつあるようだ。首都圏からの集客はありがたいことではあろうけれど、新型コロナ蔓延が叫ばれる社会状況を鑑みれば、地元の人としては、それも善し悪しといったところでしょうか。
観光客がどっと押し寄せてくれるのはありがたいが、新型コロナ菌を撒き散らされても困るというのが本音なのでしょう。
むやみに動くなと言われてもねえ。首都圏の人に罪はないわけで。とまれ、首都圏から来るやつ=コロナを撒き散らすやつという見方はやめましょうよ。
「朝焼け」は夏の季語。手元の歳時記(ディジタル版)には、「日の出間際の東の空が紅く染まる現象で、夏に多い。俗に朝焼けの日は天気は下り坂になるといわれる」とある。
きょうの天気は、「下り坂」というほど崩れはしなかったが、夜にぱらっと雨が来た。
【書】「是非」ぜひ(No.1,155)
「①よいことと悪いこと。正邪。②[国]どうしても。必ずの意。」(『旺文社漢字典』第2版)
「是」は、さじの形と、音を表す止(し)とから成る。匙(さじ)の原字。借りて「これ」「この」などの意に用いる。
「非」は、鳥の羽が左右にそむき開いたさまにかたどり、たがいにそむく意を表す。ひいて「そしる」意、転じて、否定の助字に用いる。
【ディジタル画】『坑夫』 37(No.595)
宿に一泊した翌朝、長蔵さんは草鞋の紐を結んで、すぐにでも出かける構えを整える。
朝飯は? 朝飯は食って行かないのかい?
長蔵さんに、「御前さん、飯は食はなくつても好いだらうね」と訊かれた私は「好いです」と答える。宿のご主人はまだ寝ていて、朝飯の支度をする気配がまるでない。そんな様子を見たら、まあ、そう答えるしかないだろうなあ。それに、「食はなくても好いだらうね」と言われりゃ、朝飯を諦めるしかなかろう。
この宿は長蔵さんご贔屓の定宿らしく、長蔵さん一行が宿を出立するとき「ぢや、又帰りに御寄り」と声をかけられている。ご主人の名も「熊さん」というんだからまったく落語だ。
今回もConnceptsで描いた。熊のような身なりのご主人が敷布団(掛け布団ではない)をかぶって寝ている姿を描こうとしたが、うまく描けなかったので、自然体の熊の寝姿にした。
【タイムラプス】8月16日(火)6:32〜8:28の伊豆長岡の空。28秒。
【新型コロナ】8/16(火)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→138,613(前週同曜日比 +786)
重症者数→607(前日比 −6)
伊豆の国市陽性者数→124(前日比 +76)(静岡県HPより)