いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

孫の声なくて玉蜀黍茹でる(あ)

【今日の一枚】今晩の晩酌のおかず。

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 孫がいなくなった途端に料理をする気が萎えた。どうせ呑めば晩ごはんは食わないからと飯も炊かなくなる。
 なんとかの一つ覚えのように作っていた卵焼きも、孫がいなくなってから作らなくなった。代わりにきょうは冷蔵庫に残っていた卵を全部茹で卵にした。生卵よりは日持ちするだろうと思って。これで冷蔵庫もだいぶすっきりした。
 かように独り身になると、作る料理も作らなくなる。今日の晩御飯は何にすべえと考える必要がないから楽といえば楽だが、どこか寂しい。やはり、「腹減った、なんか食うものない?」という孫の声が今にも玄関から聞こえてきそうな気がする。
 その孫の声が聞こえたわけでもないが、きょうは3時のおやつに玉蜀黍を茹でてみた。山梨県産の朝採れを3本。
 孫娘は「とうもろこし」と言えず、「とうもころし」と「ろ」と「こ」を入れ替えて言う。東京にいるおじちゃんは、小さい頃「高島屋」と言えず「たかしやま」と言っていたと秘密を暴いたら、「本当はとうもろこしと言えるけど、わざと間違えてるんだ」とほざく。可愛くねえ。
 玉蜀黍は西瓜と違っていたって簡単。西瓜は冷蔵庫に入る大きさに切って冷やしておかなければいけないが、玉蜀黍は皮を剥いて髭をむしって寸胴鍋で茹でるだけ。しかも、3分砂時計を一度ひっくり返せば出来上がる。
 きょうは孫がいるつもりになって3本茹で、食い残したのを晩飯に回した。
 というわけで、きょうも銀シャリはおあずけ。残った玉蜀黍を晩ごはんの代わりとした。


【書】「食邑」しょくゆう(No.1,149)

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 「領地の租税で生活する。また、領地。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「食」は、器に盛った食物にふたをしたさまで、たべものの意。ひいて「くう」「たべる」意を表す。
 「邑」は、口(場所の意)と、人がすわっているさまとで、人の居住する場所、「むら」、まち、領国などの意を表す。


【ディジタル画】『坑夫』 31(No.589)

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 長蔵さん一行から小僧の姿が消えた。すわ逃亡か?
 坑夫というのはそれ相応の稼ぎにはなるようだが、まだ十三四の小僧には体力的にかなりきつい仕事なのかもしれない。
 この小僧、山路を歩くのはかなり自信があると見える。近くで一緒に歩いているとばかり思っていたが、いつの間にか私の近くから影が消えた。健脚を生かしてとっとと一行より先に行ってしまったか、途中で雲隠れしたか。
 いずれにしろ、『坑夫』は32話にもなろうというのに、未だ目的地に辿り着かない。山路をだらだら歩いてばかりいる。でも、読めば読むほどに漱石の懐の深さを感じずにはいられない。いや、勉強になります。
 この作品は、明治41(1908)年元日から朝日新聞に掲載予定だった島崎藤村著『春』の執筆がはかどらず、その代打に急遽漱石が駆り出されて書いた作品という。
 きっと、ふって沸いた話をどう取りまとめようか悩んだのではないか。話をどういうふうに展開すべきか頭の中で整理がつかないまま書き始めたのかもしれない。それで、途中で赤毛糸を羽織った男が加わり、冷飯草履の小僧が加わって話をつなぎ、山路を延々と歩くことになったのだろう。
 そういう事情を判りながら読み進めると、この作品、なかなかに面白い。
 今回もすべてConceptsで描いた。一度描き上げたものに手を加えた。朱を多く足して銅山の坑夫だということを強調してみた(つもり)。


【タイムラプス】8月10日(水)6:02〜8:00の伊豆長岡の空。29秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/pfbid02vvzR9dhUfGQuivDcufXopyQgVo7tHCytEVfXY7RiZ2JEVwMpWoVEBeqnKRSVau5Fl/?d=n


【新型コロナ】8/10(水)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→212,552(前週同曜日比 +1,564)
重症者数→581(前日比 +26)
伊豆の国市陽性者数→101(前日比 +16)(静岡県HPより)