【今日の一枚】松葉に降り注ぐ雨。
車庫の脇に黒松が植わってある。孫娘にあてがっていた部屋の窓を開けると、その窓先まで松の枝が伸びている。
雨は俄か雨で、昼過ぎあたりにざっときた。そして、すぐ止んだ。
針のように尖った松の葉に生まれたての透明な雫。それに目をやりながら、しばし、宮澤賢治『松の針』の一節を思い浮かべていた。
「……
ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
わたくしにいつしょに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言つてくれ
……」
その玉の雫は、雨あがりの陽の光を浴びながら、宝石のようにキラキラ輝いていた。
【書】「重囲(圍)」じゅうい(No.1,142)
「幾重にもとり囲む。また、その囲み。」(『旺文社漢字典』第2版)
「重」は、人が立った形と、東(とう。「ちょう」は変化した音。背負いぶくろの意)とで、人が荷物を背負って立つ意。ひいて、「おもい」意に用いる。
「囲(圍)」は、囗(かこむ)に韋(い。めぐる意)を増し加えた字。
【ディジタル画】『坑夫』 24(No.582)
年恰好が十三四位の小僧が山から降りてきた。よほど腹を空かしていたと見えて、長蔵さんが差し出した芋をあっという間に平らげてしまう。
その小僧に長蔵さんが尋ねる。「御前、何処へ行くかね」
すると小僧が答える。「何処へも行きあしねえ」
長蔵さんはさらに聞き直す。「ぢや何処へ帰るかね」
それにも小僧は平気なふうに「何処へも帰りやしねえ」と言う。
行く宛もない帰る場所もない宿無の小僧は、「御金を儲けさしてやる」という長蔵さんの一言に、深い考えもなく(いや、あったのかもしれないが)二つ返事で承知する。
「私」は、自分もそうだが、赤毛糸の男にしろ、この小僧にしろ、話がとんとん拍子にまとまってしまうことに驚きを隠せない。「働くとは何か」とか「この仕事は果たして私に合っているんだろうか」なんて悠長に考える余地がない。あるのは、金を稼ぐためならどんな仕事だってするという打算的覚悟である。
今回もすべてConceptsで描いている。これは当時の足尾銅山で働く坑夫の姿だが、そこに集った人々は、ことごとく頭に布をかぶっている。こりゃ忍者の風体だねどうも。
【タイムラプス】8月7日(日)6:59〜9:17の伊豆長岡の空。34秒。
【新型コロナ】8/7(日)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→227,563(前週同曜日比 +5,308)
重症者数→567(前日比 +11)
伊豆の国市陽性者数→65(前日比 −19)(静岡県HPより)