いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

陰に身を忍ばせ蝉の息とだゆ(あ)

【きょうの一枚】息絶えたクマゼミ。

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 今や日本のセミ界を席巻してシャーシャー鳴くクマゼミも、連日のこの「危険な暑さ」続きはさすがに堪えたものとみえる。カブに乗って夕方の買い出しに出かけようとしたら車庫入り口に息絶えていた。
 最初、ヒグラシかと思った。が、よく見たら、翅脈が緑がかっていて頭が四角いところからクマゼミと推定した。
 鳴き声を聞けば紛うことはないのだが、息絶えてるから聞くに聞けない。


【書】「皇胤」こういん(No.1, 139)

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 「天子の子孫。皇裔(こうえい)」(『旺文社漢字典』第2版)
 「皇」は、もと、鬼神を表すかぶりものを台(土)に置いたさまの象形という。のち、自または白と王(おう。「こう」は変化した音。大きい意)とで、大きい・神の意、転じて皇帝の意に用いる。
 「胤」は、血縁を意味する月(肉)と八(分かれる意)と幺(続く意)とで、血すじのたえない意。ひいて「たね」、血すじの意を表す。


【ディジタル画】『坑夫  』 21(No.579)

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 「自分は傾きかけた太陽から、目を移して此の蒼い山を眺めた時、あの山は一本立ちだらうか、又は続きが奥の方にあるんだらうかと考へた」。
 私は長蔵さんと山を目指して歩いているが、「其山々は悉く北へ北へと連なつてゐるとしか思はれなかった」と続く件、種田山頭火の名句「分け入っても分け入っても青い山」を連想した。
 このとき山頭火はどこの奥山を歩いていたかは判らないが、果てしなく続く青い山々の連なりを目の当たりにして、自分の行手を塞ぐ抗いようのない絶望をそこに見たのかもしれない……。
 ご存じ、八甲田山は本州を貫く奥羽山脈の北の終点に位置する。私はその八甲田山の麓の、いわゆる奥羽山脈がストンと陸奥湾に落ちたところに肩寄せあって暮らす半農半漁の寒村で生まれた。男は海に船を出して魚を漁り、女は裏の畑で自給自足の野菜を作った。そこに希望の光はなかった。あるのは絶望ばかりだった。だから、都会への憧れは早くから芽生えた。どんな形であれ早く都会へ出たかった。
 都会へは出たが、都会の大学を卒業してもそのまま田舎へは帰らなかった。こっちでカミさんと知り合い、こっちで子供ができて孫ができた。そうするとますます帰るきっかけを失った。
 気がついてみたら、雪の積もらない温暖な土地にのほほんと居座っている。生前に親父は私に言ったことがある。「どこで住んでどんな暮らしをしてもいいが、雪はゆるくない。できたら雪の降らないところで暮らすがいい」。
 よほど雪の暮らしに辟易していたものとみえる。そんなそぶりを露も見せなかった父だが、そこに父の限りない愛情と、やるせない絶望と、避けられない雪国の運命を思わずにはいられない。
 父は種田山頭火と似ても似つかない人だったけど、山頭火のように心の拠り所を求めて山に分け入ることはしなかった。雪の降る土地に生まれ、それを運命と受け止め、そこに骨を埋める覚悟を決めた。
 それはそれで潔い人生だったと思う。


【タイムラプス】7月31日( 日)5:57〜9:31の伊豆長岡の空。26秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/pfbid0yeo2gREZqDQSWtkcKsTUvND4FFyFs1b7wQidxUa1wY5dEsDeJLM6psfetP9JEXStl/?d=n


【新型コロナ】7/31(日)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→222,307(前週同曜日比 +21,387)
重症者数→403(前日比 +27)
伊豆の国市陽性者数→38(前日比 −31)(静岡朝日テレビより)
※「静岡県HP」に7/31のデータがなかったので、「静岡朝日テレビ」のデータ一覧から引き抜いて貼り付けた。データの出所がはっきりしないので、あくまでも民間企業の参考データとしてご覧ください。