いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

日を溜めて飛ぶを休める黒揚羽(あ)

【きょうの一枚】クロアゲハ(黒揚羽)。

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 黄色いミニトマトに水遣りをしようとしたら、どこからともなくクロアゲハが飛んできて目の前の葉にひらりと止まった。クロアゲハが羽を休めるシーンに出会ったのは初めてかもしれない。
 これは珍しいと思って、手に持っていた如雨露を投げ捨て早速カメラを構えた。デジカメだと余分にカメラをもう一台用意しないといけないが、カメラ機能付きスマホだと、全てこれ一台で事足りる。
 どころか、財布がなくたってスマホがあれば買い物ができてしまう。そんな時代だ。これを知ったら財布を忘れたサザエさんはなんと言うだろう。ほんと、とんでもない世の中になったものだと思う。
 また、一方で、この便利さに慣れてしまったらこの先人間はどこへ進んでいくのだろうと要らぬ心配もする。ほんと、自分では何もしなくなっちゃうんじゃないかな。車の運転だって、自分がハンドルを操作しなくても自動的に動かしてくれちゃうしね。なんなら空だって飛んじゃうからね。そうなったらもう、車じゃないよね。 


【書】「舎菜・舎采」しゃさい(No.1,066)

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 「古代、入学のとき学校に祭られている先師(=聖人)に野菜を供えて行う儀式。後漢以後、孔子を祭る儀式。舎は、供え物をおく意。舎奠(せきてん)。=釈菜(せきさい)」(『旺文社漢字典』第2版)
 「舎」は、余(よ。「しゃ」は変化した音。屋根のある建物)に、場所を表す口を加えて、休息するやどの意。ひいて「やどる」意。転じて「おく」意に用いる。
 「菜」は、艹(草)と采(さい。とる意)とで、採集して食用にする草、「な」の意を表す。


【ディジタル画】『三四郎』 67(No.506)

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 三四郎は広田先生をどうみているか。
 「先生は高等学校でたゞ語学を教へる丈で、外に何の芸もないーーと云つては失礼だが、外に何等の研究も公けにしない。しかも泰然と取り澄ましてゐる。其所に、此呑気の源は伏在してゐるのだろうと思ふ」とある。
 なるほど、生活に余裕があるからそんな呑気に構えていられるんだなあ。ああ、金に一切頓着しなくて済む生活をしてみたいものだ。
 また、三四郎は美禰子に苦しんでもいる。
 「恋人に囚はれたのなら、却つて面白いが、惚れられているんだか、馬鹿にされているんだか、怖がつて可いんだか、蔑んで可いんだか、廃すべきだか訳の分らない囚はれ方」をしている。
 そういう忌々しさぶつける相手が広田先生である。広田先生と三十分も話をすると心持が悠揚になると言っている。
 今回も「Gガッシュ」で描いた。なかなかProcreateから離れられません。 


【タイムラプス】5月19日(木)5:47〜8:04の伊豆長岡の空。34秒。

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【新型コロナ】5/19(木)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→42,161(前週同曜日比 −3,786)
重症者数→125(前日比 −2)
累計死亡者数→30,179(前日比 +50)