いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

重き空背負ふ燕の矜持かな(あ)

 いい言葉に出会った。きのうの朝日新聞「折々のことば 2352」である。
 「やり残しのある人生こそ、素晴らしい人生だ」(山口雅俊<脚本>)
 これまでは、悔いのない人生を送りたいとばかり考えていた。でも、それだとやっぱり疲れる。
 やりたいことを全てやり尽くした人生なんて、この世にないのかもな。きのうの「折々のことば」に触れて、ふとそんなことを思った。
 「無駄の排除ばかり考えてると大事なものを見失う。人生は必ず途中で終わる。ぴたり収支が合うことなどない」。
 まさにその通りだなあ。人生は必ず途中で終わるんだよ。それでいいんだと思うよ。


【きょうの一枚】電線に一羽のツバメ(燕)。

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 市役所に用事があってカブを走らせた。
 角に酒屋さんがある十字路を渡ると、そこが市役所への近道となる。信号が青になるまで空を見上げていたら、電線に一羽のツバメがいた。これから相手を見つけて巣作りを始めるのだろうか。マイホームはどこへ定めるのだろう……。
 そんなことを考えていたら後ろからププと横断を急かされた。


【書】「亜(亞)匹」あひつ(No.1,037)

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 「似たなかま。同類。匹は、類(たぐい)の意。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「亜(亞)」は、もと、古代のたて穴式住居や墓の穴の形をかたどる。借りて「つぐ」意に用いる。
 「匹」は、織物を二枚並べて掛けたさまをかたどり、織物二おり(二たん)の意を表す。転じて、馬を数える助数詞、また「たぐい」の意に用いる。


【ディジタル画】『三四郎』 39(No.477)

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 三四郎と美禰子が掃除をしているところへ引っ越し荷物が届く。西洋間の戸口には車力の卸した書物が一杯積んである。引っ越しの荷物で書物ほど厄介なものはない。その価値は読んだ者にしか判らない。重いしくその役にも立たないし、書物は引越屋泣かせである。
 三巻揃ってあるはずの二巻目がない。そんなはずはないと三四郎が探したら、あった。その時「『どら、拝見』と美禰子が(三四郎の方へ)顔を寄せて来る」。やっぱり美禰子は妖艶な女だ。
 今回の画は、葛飾北斎の画を「Gガッシュ」で模写した。
 葛飾北斎については、明治26年(1893)に飯島虚心が執筆した『葛飾北斎伝』の序文に重野安繹の文章が載っていて、それにはこうあるそうだ。
 「画工北斎畸人也。年九十而移居九十三所」
 90歳の生涯で93回も引っ越したとな。また、
 「甚だしきは一日三所に転ぜしことありとぞ」と『葛飾北斎伝』にある由。一日に3回も引っ越しするというのは尋常じゃない。居場所を知られたくない事情でもあったのだろうか。北斎もまた謎多き人で、不可解な分だけ魅力的な人でもある。 


【タイムラプス】4月18日(月)6:55〜8:22の韮山方面の雨空。21秒。

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【新型コロナ】4/18(月)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→39,291(前週同曜日比 −9,876)
重症者数→219(前日比 −3)
累計死亡者数→29,028(前日比 +26)