いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

十年の想こもごも夕桜(あ)

 いよいよきょうから新年度のスタート。ですが、これといって区長としての感慨めいたものは特にありません。淡々とやれることをやるだけです。区のために貢献できればそれでいいと思っています。これまでにお世話になった恩返しです。
 2013年4月1日から書き始めたこのブログも、きょうからいよいよ10年目に突入します。それまで、1日も欠かさず書き続けてきました。自分でもびっくりです。書き始めた頃は、まさかここまで続くとは思ってもみませんでした。
 「継続は力なり」とはよくいうけれど、今、それを実感しています。継続が私に力を与えてくれています。ここまで来たらやめるわけにはいきません。継続という力が私を後押ししてくれています。書く内容も周囲の環境の変化によって微妙に変わってきていますが、それも含めて生きた証として、これからもずっと、書けなくなるそのときまで書き続けていこうと思います。


【きょうの一枚】公民館上の道路の桜。

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 孫に昼食を作って、午後から公民館にこもる。
 午後5時に鳴る防災無線のビッグベンを聞いて外に出る。
 公民館からの帰りは大抵下の道を通るが、きょうは新しい会計さんに渡すグッズがあったので、それを家まで届けるために上の道へ出た。
 そうしたら、夕日を浴びたソメイヨシノが満開に咲いていた。いや、満開を過ぎて少し散りはじめたかな。なんとかあした(4/2)の花見まで美しさを残してくれるといいんだけどな。
 ソメイヨシノの右側に建つ建物が公民館です。


【書】「否定」ひてい(No.1,020)

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 「そうでないとする。打ち消す。↔︎肯定」(『旺文社漢字典』第2版)
 「否」は、口と不(ふ・ひ)とで、口ではっきり否定する意を表す。
 「定」は、宀(家)と、音を表す正(せい。「てい」は変化した音。とどまる意→停)とで、家にとどまる意。ひいて「さだめる」意を表す。


【ディジタル画】『三四郎』 22(No.460)

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 野々宮宗八が三四郎を探していたと知らされ、三四郎は翌日、野々宮の家を訪ねる。
 野々宮の家は大久保にあった。まばらな孟宗藪の手前の家がそれ。三四郎の下宿先は本郷追分だから、そこからはだいぶ遠い。
 庭から上がった三四郎は、自分を探していた理由を野々宮に尋ねる。すると野々宮は、国のおっかさんがいろいろお世話になるからと「ひめいち」の粕漬けを送ってよこしたと言う。ひめいち???
 三四郎は、「詰らんものを送つたものだ」と思う。
 えてして国の名産とはそういうものだ。その土地に馴染んだ味でも調理が厄介だと送っても喜ばれない。三四郎は熊本時代にさんざん「ひめいち」を食ったようで、食う時の心得を野々宮に説く。「粕共(ごと)焼いて、いざ皿へ写すと云ふ時に、粕を取らないと味が抜ける」らしい。読むだけでいかにも面倒臭そう。


【タイムラプス】4月1日(金)7:57〜10:13の韮山方面の雨空。33秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/posts/5072052102852626/?d=n


【新型コロナ】4/1(金)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→51,913(前週同曜日比 +1,992)
重症者数→627(前日比 −28)
累計死亡者数→28,124(前日比 +102)