いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

山笑ふ駿河の浦の波の音(あ)

【きょうの一枚】山笑う沼津・内浦海岸。

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 寿太郎みかんを買いに、いつものみかん問屋にカブを走らせた。
 帰り、海岸道路を走っていると、山に満開を迎えた桜が見えた。
 季語でいう「山笑ふ」季節である。ようやく寒気も緩んで、今年もいい季節がやってきた。
 「山笑ふ」は、北宋の画家郭熙の『林泉高致』の「春山澹冶(たんや)にして笑ふが如し」からとったといわれる。ちなみに夏は「山滴る」。秋は「山粧ふ」。冬は「山眠る」。という具合に、俳句の季語は四季折々の季節のありようを感じさせてくれる。
 きょうの寿太郎みかんは先週買ったのよりもだいぶ大ぶりで、その分値段も一袋300円から500円にアップしていた。今年最後の寿太郎です、ものね。味わって食べますか。
 と言っても、食気旺盛な孫どもには馬耳東風だけどね。聞く耳持たずにバクバク食いやがる。


【書】「貝葉」ばいよう(No.1,019)

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 「貝多羅樹(ばいたらじゅ)の葉。インドで経文を写すのに用いた。転じて、仏書。経文。貝編。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「貝」は、われ目のある、たからがい(こやすがい)のからの形にかたどり、たからがいの意、ひいて広く「かい」の意を表す。古代には、たからがいのからが貨幣の役目をしたので、貨幣・財宝の意に用いる。
 「葉」は、〓(よう。葉から艹を取り除いたパーツ。薄い木片)に艹(草)を加えて、草木の薄い「は」の意を表す。転じて、世の意に用いる。


【ディジタル画】『三四郎』 21(No.459)

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 三四郎が図書館で借りた本の見返しにヘーゲルについての鉛筆書きメモがあった。昔は図書館の本に乱暴にもメモ書きをする書生が多くいたのだろうか。
 ヘーゲルの本を私は一冊も読んだことがない。ヘーゲルといえば「弁証法」を唱えたドイツの哲学者くらいの知識しかない。
 そのヘーゲル哲学をこよなく愛した数学教師が神奈川・平塚にいた。その人の口からは呑めば必ずといっていいほどヘーゲルの言葉が飛び出したが、私はそれを常に雲の上の話として聞き流していた。
 ある年の正月にその人と酒を呑み、2月に囲碁をやり、3月に体調不良で緊急入院したとの報を受けた矢先の4月、その人は突然に逝ってしまった。
 あまりにも唐突な永訣だった。今、その人と親しんだ日々、二度と戻らない日々を振り返りながら、ヘーゲルを描いている。
 今回もすべて「Gガッシュ」で描いた。


【タイムラプス】3月31日(木)7:37〜9:26の伊豆長岡の空。27秒。

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【新型コロナ】3/31(木)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→53,753(前週同曜日比 +12,723)
重症者数→655(前日比 −18)
累計死亡者数→28,022(前日比 +96)