いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

黄緑の花の色して春来たる(あ)

 公民館にこもってエクセルをいじっていたら、画面が突然フリーズしてマウスがいうことをきかなくなった。慌ててUSBを抜き取りノートパソコンの再起動を試みたが、画面はうんともすんとも言わない。
 困った時の神頼みで、公民館近くに住むパソコンに詳しい方のところへ飛んでいってヘルプヘルプ。そうしたら、その方の神通力が通じたのか、パソコンは見事に復活した。その方が在宅で、ほんと助かった。
 もちろん、再起動をかける前に引っこ抜いたUSBのデータは跡形もなく消えていた。それを覚悟でヘルプをお願いしたのだから、それは仕方がない。1時間分の作業は水泡に帰したが、本体が復活したからよしとしよう。
 そういえばパソコンを過信した昔は、こんなことはしょっちゅうだった。それを思えばきょうのようなトラブルなんて屁でもない。
 ただ、パソコンを過信しないという戒めは今も生きている。ために、常に複数のバックアップを面倒臭がらずにしておくことは基本中の基本である。
 パソコンに八つ当たりしても詮ないこと。バックアップを怠った自分が悪い。


【きょうの一枚】庭のヒュウガミズキ(日向水木)。

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   玄関先の花馬酔木を背に回れ右をすると、今度は日向水木が目に飛び込んでくる。そして、その黄緑の可憐な花が青葉茂れる頃になると、道の向かいから花吹雪が舞い降りるようになる。
 水が温み山笑う季節になった。きょうは20℃を超える日差しが降り注ぎ、とても暖かい日中だった。
 こうして花の絶えない庭に恵まれて、まるで桃源郷にでも住んでいるような、とても幸せな老後を満喫している。


【書】「身後」しんご(No.1,001)

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 「わが身の死んだ後。死後。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「身」は、もと、人がみごもった形にかたどり、みごもる意を表す。転じて、「からだ」、「み」の意に用いる。
 「後」は、〓(彳と攵の組み合わせ。足をひいてゆく意)と幺(少しの意)とで、後に「おくれる」意、ひいて、位置の「あと」、時の「のち」などの意を表す。


【ディジタル画】『三四郎』 3(No.441)

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 女と懇意になった爺さんが列車から降りた後、三四郎は思い出したように駅弁を食い出す。そのシーン。
 全集の注解によると、駅弁は明治18(1885)年に宇都宮駅で握り飯と沢庵を5銭で売ったのが始まりという。
 駅弁なら、私も列車の中から窓を開けて買って食ったことがある。その時のホームの弁当売りと弁当代を渡そうとする人との際どいやりとりが、緊張感とともに思い出される。
 まずは弁当を客に渡し、それを受け取った客がホームの弁当売りに代金を渡すのが通例だが、中には代金を渡しそびれたことも多々あったのではないだろうか。
 いずれにしろ、線路が複線化される前の時代の話。複線化になってからは、列車が発車する前に売店で弁当を買うようになったのだと思う。それは新幹線が北海道や九州を走るようになった今も変わらない。 


【タイムラプス】3月13日(日)7:07〜9:01の伊豆長岡の空。28秒。

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【新型コロナ】3/13(日)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→55,328(前週同曜日比 −8,341)
重症者数→1,204(前日比 −48)
累計死亡者数→26,072(前日比 +141)