【きょうの一枚】地域の、あるところから見た富士山。
将来は富士山が見える土地に暮らしたい。ずっとそう思ってきた。そしてついに見つけたのが今の家。
デッキに上がらないと富士山は見えない。裾を広げた大きな富士山を毎日見たいばかりに、渡り廊下の上にデッキをこしらえることを思いついた。
最初は、渡り廊下の幅さえあればいいと思っていたが、大工さんと話しているうちに欲が出て、どうせ作るなら皆でどんちゃん宴会をできるようなj広さが欲しいと思うようになった。で、そうした。
支柱に竿を立てて提灯を並べたら、まるでビアガーデン。なのだが、まだ提灯はぶら下げていない。ただ、やろうと思えばいつでもできる状態にある。
今は提灯ではなく、タイムラプス撮影のための支柱を1本立ててある。それで、部屋から延長コードを伸ばし、iPhoneを繋げて富士山周辺の雲の動きを追いかけている。毎日そうしているから、雲の形や動きから春夏秋冬を読めるようになった。と言いたいところだが、まだそこまで至っていない。8年もそんなことをしているのだから、いい加減判れよ。
8年という歳月は長いか短いか。長いとも言えるし短いとも言える。私は昭和28年にこの世に生を受けた。ちょうど、終戦を知らせる玉音放送が流れて8年目のことだ。
あと何年生きられるか判らない。判るのは人間は確実に死ぬということだ。せめて、その日がいつ来てもいいように、心構えだけは欠かさず持っていようと思っている。
【書】「克明」こくめい(No.993)
「十分に明らか。」(『旺文社漢字典』第2版)
「克」は、人が甲冑(かっちゅう)をつけている形にかたどり、甲冑の重さに耐える意、ひいて「かつ」「よく」の意を表す。
「明」は、明と朙との二体がある。月と、明るい意を表す日、また、〓(朙)から「月」を取り除いた形。あかるい意)とで、月が明るい意、ひいて広く「あかるい」意を表す。
【ディジタル画】『吾輩は猫である』 107(No.430)
囲碁を打ち終えた八木独仙が苦沙弥先生、東風君、寒月君の話に加わる。
そこにスペインのコルドバ(全集では「バ」を「ワ」に「゛」と表記) でお寺の日暮れの鐘を合図に、女の人が半襦袢、半股引の服装で河に飛び込むという風習を紹介する。その話に東風君が身を乗り出すというシーン。
その女性が沐浴をするシーンを想像して描いた。
今回もすべて「Gガッシュ」で描いた。
【タイムラプス】3月2日(水)7:09〜9:16の伊豆長岡の空。31秒。
https://www.facebook.com/1298610339/posts/10227998993382349/?d=n
【新型コロナ】3/2(水)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→65,434(前週同曜日比 −4,088)
重症者数→1,456(前日比 −5)
累計死亡者数→23,908(前日比 +238)