いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

青木の実啄まれ落つ三つ四つ(あ)

 安野光雅著『絵のある人生』(岩波新書)の中で、「街道をゆく」の取材で司馬遼太郎に同行したときのことが語られている。
「司馬遼太郎は『本物のリンゴと絵に描いたリンゴとで、絵に描いたリンゴの方がいいのはなぜだろうね』とよく言っていました。謎をかけられているようで軽々には答えられませんが、ゴッホの仕事の中に答えがありますーーというのもまた、謎のような返事でしょう。ゴッホの描いた病院の庭そのものには格別なにも感じませんが、彼の絵の方には胸を打たれるものがある、ということです」
 見る人の胸を打つような絵ってなんだろう。今日はそのことをずっと考えていた。それは絵でなければダメなんだろうか。イラストや漫画では胸を打たれないんだろうか。
 絵とイラスト・漫画の違いってなんだろう。絵は「高尚」でイラスト・漫画は「低俗」だなんて、どこで線引きするんだろう。考えれば考えるほど判らなくなる。絵とイラストと漫画は、所詮相入れない文化なんだろうか。画家と言われ、イラストレーターと言われ、漫画家と言われる。あなたの職業はなんですか? と訊かれ、そのどれも当てはまるということはないのだろうか。
 私はもっぱらiPad ProとApple Pencilを使って絵を描いている。いや、絵とはとても言えないような代物を描いている。画材を買い揃えるだけの蓄えがないからそうしている。単純に描くのが楽しいし、なるべく金をかけないで楽しむのが私の流儀だから。
 今の美術系大学や専門学校がどういうレッスンをしているかは知らない。レッスンを受けてみたい気持ちはなくはないが、先立つものがないから端から無理と諦めている。
 それで、自分の持っている武器はこれしかないとiPad ProとApple Pencilで写真を模写している。今では美術史に登場するような著名な画家も若い頃は模写に時間を費やしたそうだ。ゴッホも浮世絵に魅せられてそれを模写したと聞く。が、ゴッホが描く世界は浮世絵とは似ても似つかぬものだ。
 私もそうでありたい。模写をしながら、自分の描きたい世界を模索しているが、なかなかゴッホのようにはいかない。
 ゴッホで思い出すのが自らを板画家と呼んだ棟方志功。棟方志功は「わだばゴッホになる」と言って21歳で故郷青森を飛び出した。私はそのエネルギッシュな創作意欲を羨望するが、描くのが楽しくて仕方がないというふうに一心不乱に作品を仕上げていく所作はとても真似できない。そして、私に今いちばん足りないのは、そういう、のっぴきならない熱情ではないかと思っている。


【今日の一枚】庭の青木の実。

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 青木の実が葉陰に赤く色づいている。それを狙ってヒヨドリが飛んでくる。葉陰に身を隠すようにして実を啄んでいる。その様子を窓から覗き込みながらコーヒーを飲む。のどかな日曜の朝である。


【書】「次善」[国]じぜん(No.599)

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 「最善に次いでよいこと。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「次」は、人が口を開いてなげき、そのなげく息づかいが現れている形。欠(けん)は口を開いて立人を横から見た形で、二がその吐く息を示している。→白川静『常用字解』
 「善」は、もとの字は譱(ぜん)に作り、羊と〓1(きょう)とを組み合わせた形。羊は神判(しんぱん=神が裁く裁判)に用いる解〓2(かいたい)とよばれる羊に似た神聖な獣。〓1は両言。→同
〓1↓

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〓2↓

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【タイムラプス】2月14日(日)6:06〜8:07の伊豆長岡の空。30秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10225473442205148/?d=n


【新型コロナ】2/14(日)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→1,361(前日比 +60)
重傷者数→693(前日比 −8)
累計死亡者数→6,931(前日比 +65)