いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

夏休み孫を書生に書写手本(あ)

 昨日、中学校の連絡網から「修学旅行中止」のメールを受け取った。

 修学旅行の具体的な準備は、今年の年明け早々から始まった。班別自主行動の班を作り、京都のどこをどう回るかのプランを練らせた。その時私は、学年所属の非常勤講師だったから、いちばん多かった庭園をテーマに選んだ班の補助に回り、いろいろアドバイスしたりしていた。

 そこまでは今年の5月実施を前提として動いていた。ところが、3月になって修学旅行は急遽9月に延期されることが市教委の方針で決まり、その段階で準備は振り出しに戻り仕切り直していた。

 今年度の私は特別支援学級支援員という立場になり、学年全体の補助はできないが、クラスから参加する子の個別支援に回るという形で班行動のプラン作りに参加していた。

 それで、夏休み直前まで9月実施の方向で現場は動いていた。ところが、昨日になって突然の中止決定が出る。新幹線予約や宿泊予約のキャンセル料のかからない、ぎりぎりのタイミングでの中止決定と思われる。

 新型コロナウイルスの感染拡大が、収束どころか、ここへ来て全国的拡大に発展している状況を鑑みれば、修学旅行中止もやむなしと言わざるを得ない。クラスター発生の危険を冒してまで実施することの教育的効果を見出せない以上、修学旅行中止は誰もが認めざるを得ない決定だろう。

 いちばん辛く苦しく思っているのは子どもたち自身だろう。なんで、私たちだけがこんな目に遭わなければいけないのかと、身に降りかかった理不尽を嘆く向きも当然だろう。

 私は今、あの子たちにどんな言葉をかけてやれるだろう。昨年度の、明日から臨時休校になろうという最後の授業で、私は子どもたちに「君たちは今、まさに歴史の真っ只中を歩んでいこうとしている。これからどうなるかは誰にも判らない。それでもこの混沌とした世界の中に、自分でこれはといった道を見つけ、進んでいかなければいけない」といった趣旨のことを言った。

 あの時は、何を言ってんだこのじじい、くらいにしか思わなかったかもしれない子も、今は私の言いたかったことをちょっぴり汲み取ってくれているだろうか。そうだと嬉しい。

 中体連の中止に続いて修学旅行も中止と決まった。が、そのことで自分たちの不幸を嘆くのはよそう。不幸を嘆いたところで何も始まらない。どんなことがあっても自分の足で歩いていくこと、そして新しい歴史を作ること、そのことを考えよう。後世の歴史研究者に、2020年はコロナ禍によって新たな生活様式を身につけ人類滅亡の危機を脱した年、と言わしめよう。

 

【今日の一枚】孫の夏休み書写課題に書いたお手本。

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 久々に筆を持ち、気に入らない気に入らないと言いながら、何度もお手本にしてもよさそうな字をと書いているうちに、すった墨をほぼ使い切ってしまった。で、この後、もう一度すり直す。

 名前は、清書を糊で貼り付ける台紙に書くので、作品に書かなくても良いとのことでした。

 

【書】「兄弟」(No.424)

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 孫が来る前に書き溜めておいたやつをアップします。

 落ち着いた「兄」と、やんちゃな「弟」のイメージで書きました。

 

【ディジタル画】やはり孫が伊豆にいる間は、孫にiPad Proを占有されてしまうので、「ディジタル画」を描けません。よって、「ディジタル画」は孫が帰るまで休止します。

 

【タイムラプス】8月12日(水)4:36〜6:45の伊豆長岡の空。32秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1293686760837222401?s=21

撮影途中、二度も「孫の手」の邪魔が入りましたが、編集が面倒なのと、顔が映っていないことをいいことに、そのままにしてあります。孫には撮影のことを、「理科の観察」と言っています。