いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

蜘蛛出でて独り夕餉をのぞかるる(あ)

 気がつけば、今日で4月も終わり。そうか、と気づいて日めくりカレンダーを見たら、まだ昨日(4/29)のままだった。
 過ぎた日を愛おしむように、日めくりカレンダーをぺろりとめくって新しい日を迎える。こうして一枚、また一枚とめくるさまが、自らの羽を抜いて機を織る『夕鶴』のつうの姿と重なって、私はこの一日を大切にしようという気持ちになる。日めくりカレンダーをめくるのは、一種の儀式みたいなものだというとやや大仰な気もするが、気分としてはそういうところがある。
 そんなふうに考えるのは、歳をとったからだろうか。
 私はこの4月で68になった。限りある人生も残りわずかだ。その残り少なくなった人生が一日、また一日と消えていく。日めくりカレンダーを剥がすように、夜が明ければ一日が剥がれ落ちていく。歳をとるとはそういうことだ。
 『夕鶴』では、つうは高価な反物を織り上げて与ひょうを喜ばせるが、私はいくら身を削っても人を喜ばせるようなものを作れない。でもいつかは作りたいと思っている。そのためにも今日の一日を無駄にはできない。そんな気持ちで今日も日めくりカレンダーをめくった。そして、新たな一日を大切に過ごすモードに気持ちを切り替えるのだ。


【今日の一枚】イエグモ第1号。

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 出ました。今年初のお目見えです。ほんの、まだ子どもですけど。
 小ぶりな分だけすばしっこい。目の前の障子戸にすっと現れたと思ったら、あっという間に障子戸をよじ上って、行方をくらましてしまった。
 そうか、今年もイエグモが徘徊する時期になったか。これからはいよいよでかいのが、そちこちに顔を出すわけだな。
 イエグモはアシダカグモのことで、見た目はグロテスクだが、ゴキブリを退治してくれるいいやつなんです。蜘蛛の巣も張らないしね。ただ、夜中にトイレに立ったりすると、ドアの前にいるんですよ、こいつが。踏んづけそうになる足をすっとかわしてくれるからいいんだけど、こっちは一気に眠気が吹き飛んじゃいますね。
 ちなみに、これまででいちばん早い出現は、2018年4月27日とブログに記録されています。これも小グモです。


【書】「家書」かしょ(No.684)

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 「①家に伝わる書籍。②家族、または妻に出す手紙。③家族、または妻から来た手紙。家信。」(『旺文社漢字典』第2版)  
 「家」は、宀(べん)と豕(し)とを組み合わせた形。家を示す宀(建物の屋根の形)の下に、犠牲(いけにえ)として殺された犬を加える。家とは先祖を祭る神聖な建物である廟(みたまや)のことである。そのような建物を建てるときには、まず犠牲を埋めて、その土地の神が怒らないように鎮(しず)めるために地鎮祭(じちんさい)を行うのである。古い字形では、犬は殺されたものとして、尾を垂れた形に書かれている。→白川静『常用字解』
 「書」は、聿(いつ)と者とを組み合わせた形。聿は筆を手(又=ゆう)に持つ形で、筆をいう。者は曰(えつ=神への祈りの文である祝詞を入れる器である口の中に、祝詞がある形)の上に木の枝を重ね、土をかけてお土居(どい=土の垣。土塁)を作る形で、お土居をいう。者は堵(と=かき)のもとの字。古い時代には邑(ゆう=集落)の周囲をお土居で囲んで外からの侵入を防ぎ、お土居の中にはお札のようにして曰を埋めて呪禁(まじない)とした。そのお礼にしるした神聖な文字を書という。→同


【ディジタル画】菊池俊輔(No.128)

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 浅学にしてその名を存じ上げなかった。青森県の地方新聞「東奥日報」のコラム「天地人」で知った。弘前市出身の音楽家だそうです。
 今回の人物画を描くに当たって、顔の色が決まらず、サンプルを塗っては消し塗っては消しを繰り返した。こういう積み重ねを経て、塗る色を選択する目が育っていくのだなと思う。独学ですからね、誰も教えてくれません。


【タイムラプス】4月30日(金)5:43〜8:33の伊豆長岡の空。21秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/posts/4014475401943640/?d=n


【新型コロナ】4/30(金)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→5,916(前週同曜日比 +418)
重症者数→951(前日比 −2)
累計死亡者数→10,203(前日比 +78)